つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

徒花か、魁か。

2022年08月15日 12時00分00秒 | 手すさびにて候。
                     
【パーソナリティー(personality)】を辞書で引くと複数の解説がある。
その1つが【ディスクジョッキーなどの番組担当者】。
つまりパーソナリティは、主に【ラジオの喋り手】として認知されている。

訓練で培った明瞭な発音と発声のスキルを備え、
私情を挟まず原稿を正確に読む「アナウンサー」とは、ちと違う。
状況や制作側の意図、聞き手の求めなどに即応し、
個性を交えた豊かな表現で魅了するのが「パーソナリティ」。
--- となるだろうか。

日本のラジオ業界に於けるパーソナリティの黎明は、
深夜放送が人気を博し始めたあたり。
昭和30年代末~40年代初頭頃に登場したとするのが一般的。
だが、そのプロトタイプは大戦末期に遡る。
--- というのが僕の推測だ。

ほんの手すさび 手慰み。
不定期イラスト連載 第二百七弾「東京ローズ」。



[ This is “ZERO HOUR” from TOKYO. 
  トーキョーから平和と愛をこめてお届けします。
  アメリカの坊やたち、いかがお過ごしですか?
  作戦は順調かしら?
  目指す硫黄島の守備隊は準備完了。
  カミカゼアタックも沢山待ち構えているわ。
  一体何人の兵隊さんが命を落とすことになるのかしらね。
  ところで、本国にいるあなたの恋人や奥様はお元気?
  今頃、他の殿方に抱かれているかもね。


物言いは上品ながら、なかなかの毒舌。
ラジオ番組「ゼロ・アワー」は、狙い通り、リスナー(米兵)の心をかき乱す。
ある時は、手強い敵軍に戦慄し、
ある時は、郷愁を掻き立てられ、
ある時は、恐怖に身を震わせた。
そして、バズった。

死と隣り合わせの緊張感の中に身を置く男たちの多くが、
その棘のある甘いハスキーボイスに魅了されたという。
いつしか彼女は「東京ローズ」と呼ばれ、
オンエアを待ちわびる米軍のラジオスターになった。

戦後、来日した従軍記者は、躍起になって「東京ローズ」を探し求めた。
ロサンゼルス出身の日系2世が名乗り出るも、確信には至らず。
そもそも「ゼロ・アワー」に係わった女性は複数いたとされ、
その正体は迷宮入りした。
声以外は全くの謎。
ミステリアスなパーソナリティは、歴史の霧の彼方に消えた。
確かなのは「ゼロ・アワー」が、当時、他に類のないプログラムだったということ。

選曲は洋楽ヒットナンバーやポピュラーソング。
喋り手の個性を前面に押し出し、囁くように語りかける全編英語のトーク。
20年後の未来を彷彿とさせる斬新な構成は、
魁(さきがけ)と言える。

だが、終戦を機にぷっつりと途切れてしまった訳だから、
やはり「戦時下の謀略放送」という特異な状況に咲いた、
徒花(あだばな)なのかもしれない。
                    
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戦争とラジオ。

2022年08月14日 12時00分00秒 | これは昭和と言えるだろう。
                 
明日(2022/08/15)は「終戦の日」。
日本では、この日に第二次大戦が終結した印象かもしれないが、
実際の流れは概ね次の通り。

今から77年前の今日(8/14)ポツダム宣言を受諾。
翌日(8/15)米・英・中・ソに対し無条件降伏したことを公表。
月を跨いで(9/2)降伏文書に調印。
国際法上はここで交戦状態が解消した。

--- つまり「終戦の日」は「玉音放送」に起因しているのである。



昭和20年8月15日・正午。
冒頭、日本放送協会のアナウンサーによる通告があり、聴衆に起立を求めた。
続いて、情報局総裁が、天皇の肉声(玉音)による朗読だと説明。
国歌「君が代」の演奏に続き、およそ4分あまり、昭和天皇の朗読が放送された。



上掲画像は、以前「れきしる」にて撮影させてもらった古いラジオ。
正面スピーカー下に、小さく「コンサートーン」のブランド名。
(メーカーはタイガー電機か?)
内部の造りは実にシンプル、大きな真空管が見て取れる。
キャビネットは、おそらくベニヤ板製。
年式不明ながら、物資が不足していた時代のものと推察した。

もう少し、推察にお付き合い願いたい。
終戦を国民に伝える手段としてラジオが選ばれたのは、なぜだろう。

1つは「聴取習慣が根付いていて、影響力が大きかった」
 開戦以来、ラジオは戦争を伝え続けてきた。
 放送局は国営のみで、統制・扇動は大本営のやりたい放題。
 受信機は安価ではなく普及台数は分からないが、
 国民は戦況を知りたくて所有者の元に集まりスピーカーの前に陣取った。
 実際のリスナー数は、聴取契約者の数以上だと思う。

1つは「準備の簡便さと、スピード」
 玉音盤(レコード)の録音なら、短時間で、少人数で、密室で行える。
 皇居に外部から人を招き入れる必要もない。
 大勢は敗北を受け容れたが、根強い反対意見が燻り不穏な雰囲気。
 いらぬ危険を避ける意味もあった。
 そして電波に乗ってしまえば、不特定多数へ一斉に伝達できる。

1つは「玉音/生声のインパクト」。

他にも考えられるが、上記3つが主な理由ではないだろうか。



--- さて、幸いと言うべきだろう。
石川県は空襲の被害を免れた。

福井県は、軍港のある敦賀が日本海側としては初の空襲を受け、
福井市も2万戸を超える家屋が焼け、合計2000名近くが亡くなった。
富山県は、富山市が大空襲によって市街地のほぼ100%を焼失。
死者は3000名、負傷者は8000名以上を数えた。
そのナパームの火矢が巻き起こす紅蓮の炎は、津幡町からも望見できたという。

防空壕跡、軍隊駐屯地跡、砲台跡といった戦争遺跡は、わが津幡町にはない。
きっと戦時中は上掲画像のようなラッパスピーカーから、
「空襲警報」が鳴る場面があったと想像するが。

撮影場所は、町中の小高い丘・大西山。
かつて木造の「津幡尋常高等小学校」が建っていた当時、
校舎に隣接して「防空監視哨」が設置されていたという。

監視対象は「B-29」。
双眼鏡や音により敵機来襲を察知したら、連絡電話などで軍管区司令部に情報を伝達。
軍の担当官がどの地域が危ないか判断し警報を発令。
そのメモが放送局に待機するアナウンサーに渡され、電波に乗る。

空襲警報、警戒警報は、当時「情報放送」と呼ばれていた。
命を脅かす危機の動向を伝えるという点では、
現代の災害緊急情報放送の原型ともいえる。
                       
<最後に>
明日「終戦の日」は、今回の続篇らしき投稿を予定している。
不定期イラスト連載「徒花か、魁か」。
よろしかったら覗いてやってくださいませ。
                       
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糸瓜と学校。

2022年08月11日 19時19分19秒 | 大西山の丘辺に立てば。
                            
拙ブログをご覧の皆さんは「糸瓜束子(へちま たわし)」をご存じだろうか?
僕は、幼い時分にそれを作ったり、使ったりした。

糸瓜はインド原産。
日本には江戸時代の初めに渡来したと言われている。
細い茎を伸ばしながら巻きひげで辺りに絡みつき、すくすくと成長。
夏には、茂った葉の間から、雄花、雌花を次々と開く。
鮮やかなイエローは、ルーツの熱帯アジアを連想させる。





初秋には実が徐々に大きくなり、やがて長さ50~60センチのビッグサイズに。
熟すと中には、強くて固い繊維がびっしり。
漢字名の由来だ。
水に漬け、皮や果肉を腐らせ、繊維だけを取り出す。
流水にさらし、臭気を抜いたら「糸瓜束子」が完成。
入浴の際は身体を、水仕事では鍋・フライパンなどを洗った。

僕が子供の頃、糸瓜を育て、実を収穫し、束子を作った場所は「津幡小学校」。
確か、理科の授業の一環と記憶している。
校舎が変わり、時代も昭和から令和に変わったが、
その課程は続いているらしい。
掲載画像は、今朝、小学校の敷地内で撮影したものだ。



さて、以前の投稿でご紹介したとおり、
来年(2023年)春、わが母校が創立150年の節目を迎えるにあたり、
側面からサポートしようと、卒業生有志による応援団が発足した。
僕「りくすけ」も一員である。
きのう(2022/08/10)参加メンバー全員が集合。



今後の活動指針と役割分担が決まった。
左程遠くない未来--- 来月末~再来月には、具体化してくると思う。
津幡小学校に所縁を持つ方々、色々と情報提供をお願いすることもあるだろう。
その際は、何卒よしなに!
                                
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拝啓 縄文人殿 ~ れきしる夏の企画展。

2022年08月07日 21時00分00秒 | 日記
                          
津幡町ふるさと歴史館「れきしる」にて企画展がスタートした。
金沢市・白山市・野々市市・かほく市・内灘町・津幡町。
4市2町の文化財を持ち回り展示するシリーズ、
「石川中央都市圏考古資料展」の第五回。
テーマは縄文時代である。
                  

                
Lyric video「狩りから稲作へ/レキシ」


歴史ファンにはお馴染みかもしれない。
日本のミュージシャン「レキシ(池田 貴史/いけだ たかふみ)」作品では、
縄文時代は“狩猟採集移動生活”として歌われている。
それは間違いではないし、初期から中期にかけてのスタイルだったと思う。
--- また、定住集団生活を営み始めたのも、大きな特徴の1つだ。


                   
わが津幡町から出展しているのは「北中条遺跡」のそれ。
ここは、河北潟の東、海抜2~4mの低地に位置し、長期に亘る複合遺跡。
展示は今から4~3000年前、縄文・後期中頃から晩期初頭のもの。
地域性が濃く、好状態の土器が出土しているという。
中でも「注口土器」は、県内有数の大きさを誇る。



炉にすえた時の熱効率を考えてか、逆三角形の形状。
注口が付いているのは、もちろん液状の何かを注ぐためだ。
湯か、酒か、あるいは薬草を煎じた上澄みか?
普段使いにしてはサイズが大きい気がするから、祭祀用か?
その使用目的を想像して、紀元前の当時へ思いを馳せてみる。
答えが出る訳ではないが、それは実に楽しいひと時なのだ。





その他、金沢の遺跡から、打製石斧・石鍬・石剣・石刀などの石器類。
津幡町のお隣、かほく市「上山田貝塚」からは出土した貝類も展示。
同じ縄文時代でも環境の違いによって、
暮らしぶりが違うであろうことが窺える。

今投稿で取り上げたのは、ごく一部。
「石川中央都市圏考古資料展 縄文時代編」は、
2022年9月4日(日)まで開催。
時間と都合が許せば「れきしる」へ足を運んでみてはいかがだろうか。
“縄文人の息吹き”が、貴方を待っている。
                        
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物言わぬ花の伝言。

2022年08月06日 21時21分21秒 | 草花
                     
<はじめに>
本来なら、僕は今日この時間(2022/08/06 21:21)、
ある現場で仕事に従事しているはずだった。
暑さに耐え、汗水垂らしているはずだった。
しかし、然に非ず。
こうして自宅でキーボードを叩いている。
前回投稿したとおり、8月3日~4日にかけ降った「記録的大雨」により、
予定していたイベントが中止となったためだ。
全ては「天の采配」である。

<本  記>
雨の名残は微塵もない夏の午後。
散歩の折、大輪の向日葵にレンズを向けた。



西日が透け、黄色い花びらが重なり合った様子が分かる。
直径は 20cm あまり。
花びらに囲まれた円形部も小さい花の集合体。
それぞれが受粉し、実を結ぶのだ。



さて、ロシアのウクライナ軍事侵攻開始当時に脚光を浴び、
向日葵がウクライナの国花とご存じの向きも多いだろう。
花の種から絞られる「ひまわり油」は、ウクライナの名産品。
その生産量・輸出量は世界一だ。
また、世界二位の輸出国はロシア。
トップ2の混乱は、僕たちの食に欠かせない「食用油」の価格高騰を招いている。

戦端が開いて、まもなく半年。
段々と関連情報の露出が少なくなってきた気がする。
あえて嫌な言い方をすれば---「慣れてきた」のかもしれない。

『戦いは続いている!』
『終わっていない!』
『忘れないでくれ!』


物言わぬ美しい大輪の花は、そう訴えていた。
                         
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