goo blog サービス終了のお知らせ 

つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

天下普請と少年の日のヰタ・セクスアリス。

2018年05月20日 06時07分18秒 | 日記
花の都は「天下普請(てんかぶしん)」によって出来た。
治水が悪く、山岳に囲まれ、平野の少ない地形だった江戸を、
立派な都市へと変えるための大規模な公共事業は、70年、3次に亘る。
各地の大名から石高に応じて、土木・建築工事に必要な資金、資材、人員、一切を供出させた。
幕府への忠誠を示す公共事業は、軍役と同等。
お家の命運を賭けた、戦そのものだったという。

皇居や隅田川の石垣には、当時、工事を請け負った大名家の家紋などが刻まれた
「刻印石」が残っている。
“ここは、俺たちがやり遂げた”という証。
血と汗を流した側のアピールであり、メモリアルだ。
こうした「記念証明」は、現代の建造物にも見て取れる。

昭和59年度 事業化。
平成3年度 工事着手。
平成20年3月に全線開通した「津幡北バイパス」。
橋脚には、プレートが埋め込まれている。
徐々に近づきながら撮影。

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

関係各社が列記されている。
下請けも含めれば、何千人~何万人もが関わっただろう。
また、僕らが治めた税金も投入されただろう。
およそ四半世紀をかけ、巨額を投じて完成したコンクリートの道は、人々の血と汗の結晶だ。

…などと一頻り感慨に耽り、その場を立ち去ろうとした時、
足元に目が留まる。

エロ本だ。
子供の頃、時々、こうした人家から離れた道の袂で“お宝”を発見したっけ。
雨風に晒され、ゴワゴワ、カピカピになったページを懸命に捲ったっけ。
…などと一頻り感慨に耽った。
もちろん、オッサンになった今では、手に取る事はない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする