つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

さらば、たいとや。

2017年12月10日 11時33分46秒 | これは昭和と言えるだろう。
辞書を引くと以下の記載がある。

【 名字帯刀 】
  名字を名のり、太刀を帯びること。
  江戸時代は武士の特権であったが、のち、特に家柄や功労によって
  庶民に対しても許された。

士農工商…身分制度が厳格だった昔に、
「帯刀」を許された家柄から「たいとや」の屋号で呼ばれる町医者があった。

前回投稿した、元「電電公社」の道を挟んだはす向かい。
「酒井医院」だ。

由来詳細は不明ながら、前述の言い伝えから察するに、
津幡町の旧家と推測される。
長きに亘って医術を施し、地域に貢献してきたが、今年、幕を下ろした。

僕も何度となくお世話になった。
白衣姿の院長先生。
トントンと優しく身体を触診。
ヒンヤリとした聴診器の感触。
消毒用アルコールの匂い。
何故かパラフィン紙の袋に入った白い粉薬などが、思い起こされる。
確か、津幡小学校でのインフルエンザ集団予防接種も、
担当していたのではないだろうか?

先日、予防接種をお願いしようと電話をかけたところ、閉院の報に接す。
また一つ、昭和の灯が消えた。

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三公社五現業。

2017年12月10日 09時27分32秒 | これは昭和と言えるだろう。
日本国有鉄道・日本専売公社・日本電信電話公社。
郵政・造幣・印刷・国有林野・アルコール専売。
戦後の復興にあたり、これらを国主導で行ったのが「三公社五現業」。
社会科の授業で習った覚えがあるのではないだろうか。

@現「JT」専売公社は、昭和24年(1949年)設立。
 「大蔵省専売局」を母体とし、煙草と塩の専売事業を行ってきた公共企業体。
@現「JR」国鉄は、旅客・物流インフラの根幹として官主導だった鉄道事業を継承し、
 昭和24年(1949年)に発足した。
@現「NTT」電電公社は「電気通信省」の廃止に伴い、昭和28年(1953年)設立。
 国内の国内電気通信業務を一手に担っていた。

全て民営化された三公社だが、僕が子供だった頃は、まだ旧態を維持していた。
その名残が、この建物である。

今は業務を金沢へ移管したためか、無人の上物が残るだけ。
関係者でもない限り訪れる人影もない。

電話料金の支払い等のため、多くの人が詰めかけた受付窓口。

何台もの机が並び、何人もの職員たちが動き回っていた事務所跡。

引っ切り無しに車が行き交っていた駐車場。

しばし、がらんどうの内部や周辺を見つめた後、
目を閉じて記憶の中を探ってみると、脳裏に往時の様子が浮かび上がってくる。
しばし、賑やかだった頃を振り返り、目を開けて建物横のスペースを見遣る。

一瞬、子供の僕が、こちらを振り向きつつ笑いながら走り抜けていった気がした。

そして、歩を進めた先にて、電電公社の名残に遭遇。

「樫見さん」管轄の電柱46番なのか?
プレートに込められた意味は不明ながら、久しぶりに懐かしいロゴマークを見た。
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