つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

さらば、たいとや。

2017年12月10日 11時33分46秒 | これは昭和と言えるだろう。
辞書を引くと以下の記載がある。

【 名字帯刀 】
  名字を名のり、太刀を帯びること。
  江戸時代は武士の特権であったが、のち、特に家柄や功労によって
  庶民に対しても許された。

士農工商…身分制度が厳格だった昔に、
「帯刀」を許された家柄から「たいとや」の屋号で呼ばれる町医者があった。

前回投稿した、元「電電公社」の道を挟んだはす向かい。
「酒井医院」だ。

由来詳細は不明ながら、前述の言い伝えから察するに、
津幡町の旧家と推測される。
長きに亘って医術を施し、地域に貢献してきたが、今年、幕を下ろした。

僕も何度となくお世話になった。
白衣姿の院長先生。
トントンと優しく身体を触診。
ヒンヤリとした聴診器の感触。
消毒用アルコールの匂い。
何故かパラフィン紙の袋に入った白い粉薬などが、思い起こされる。
確か、津幡小学校でのインフルエンザ集団予防接種も、
担当していたのではないだろうか?

先日、予防接種をお願いしようと電話をかけたところ、閉院の報に接す。
また一つ、昭和の灯が消えた。


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