つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

石に刻まれた津幡町の先人の記録。

2012年10月14日 12時16分35秒 | 日記
散歩をしていると、
明治~大正~昭和にかけて建立されたモニュメントに出逢う事がある。
過去、何度か投稿してきた「忠魂碑」は典型の一つだが、それとは別に、
個人の功績を讃え、後世に伝えるためのパーソナルなものも多い。
例えば「今日の一枚」。

『於台北州大水害殉職
 故台北州巡査部長 勲七等 金子理一郎之碑』。

碑に刻まれた内容を紹介したい。

『明治十七年三月津幡町ニ生レ仝(どう)三十七年歩兵第七聯隊ニ入営、
 日露戦役ニ従軍ス仝四十年台湾ニ渡リ 巡査ヲ拝命 勤続実ニ二十有六年
 其間 賞興ヲ受クルコト数十回ニ及ブ
 昭和七年八月二十四日 台北市内未曾有ノ大暴風雨ニ洪水ノ為氾濫
 交通杜絶スルヤ大宮警察官使派出所ト連絡ノ為
 勇敢ニモ自ラ自動車ノ把手ヲ執り 午後八時四十分北警察ヲ出発シ
 圓山運動場附近ニカカルヤ道路上浸水二尺アリ 加フルニ暗夜ノ為
 進行不可能トナリ引返サントスル刹那 自動車諸共八米ノ水中ニ墜落
 遂ニ其ノ職ニ殉ル』 (※ホボ原文ママ、一部旧字体を変換)

   

僕が生まれ来るはるか以前、日本が台湾を統治していた頃のエピソードだ。
北陸の小さな町で生まれ、凍てつく大陸へ出征し、
亜熱帯の島へ赴いた末、責務を全うしての悲劇。
その心境やいかばかりかと考え、頭が下がる思いである。

場所は「清水(しょうず)の泉」の程近く。
津幡市街と緑ヶ丘団地を結ぶ陸橋の下、
雑木に囲まれた一角にひっそりと、それはある。
前に佇み一枚岩の立派な碑を見上げれば、規則正しい鉄路の鳴る音。
木々の間から、本津幡駅へと向かう七尾線が見えた。

   
コメント
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