日本人の英語の発音は独特である。
日本人の話す英語は日本人には解り易い。逆に言えば欧米人の英語は解り難いし、簡単なことでも、何を言っているのか解らない。
仕事の話は何となく想像出来ても、一般の世間話になると全くお手上げであった。
現役の頃、海外にも出るようになって英語を話さねばならぬことになった。
最初は話すことに夢中であったが、そのうちに何とか話せるようになった。
自分が上手く話せないときは、相手も加減してくれていたのだろう何とか相手の言うことも解った積りであった。
相手はこちらが理解できるであろうレベルのことしか、話しかけてこなかったのだと思う。
少し、話せるようになって調子に乗って英語を喋りだしてから、悪戦苦闘が始まったのである。
相手の喋る英語が全然解らないというより、何を言っているのか皆目、聞き取れないのである。
『ちゃんとした英語を喋って欲しい』と何度思ったことか。
こんな日本人の下手な英語を『ジャングリッシュ』と言うらしい。
カタカナ英語と題して、池谷東大準教授が書いている。
面白かったし、なる程解らぬはずだと改めて思った。
日本のカタカナ英語の綴りがいけないのだと言う。
カタカナの綴りを少し工夫すれば通じたり聞けたりするようになる。
例がいっぱいあるので、その中から、
Can I have ケナヤブ
Do You have ジュヤブ
Do You want to ジュワナ
I want You to アイワニュル と発音すれば通じる。
逆に日本語でこのように言うとこんな意味になり、『直ぐ通じた』のは
親友はげん See You again.
歩けるよ I'll kill You.
かむとぎょうざ Come together.
手でつまんでいい Today is monday.
こんな例が沢山並んでいる。
通じないはずだし聞き取れない道理である。
欧米人にとって、日本人が英語で話しても、『英語で話しかけられていることに気づかない』場合があるという。『日本語は意外に英語によく似ている』と思う人がいると書いてある。
『ホント』と思うかも知れぬが、そんなこともあるようだ。
聞いた話だが、亡くなられた大庭さんがまだ単車の本部長をされていた頃、英語でよくスピーチをされていた。
流石にKMCの社内のアメリカ人にはそれが英語のスピーチであることは解っていたようだが、ある時ニューヨークで一般の方に英語のスピーチをされたら、
『ドクターオオバのスピーチは残念ながら日本語だったので解らなかったと』と言われたというエピソードが残っている。
日本人は、英語が理解できないのでなくて、聞き取れないし発音がダメなのである。
日本人の話す英語は日本人には解り易い。逆に言えば欧米人の英語は解り難いし、簡単なことでも、何を言っているのか解らない。
仕事の話は何となく想像出来ても、一般の世間話になると全くお手上げであった。
現役の頃、海外にも出るようになって英語を話さねばならぬことになった。
最初は話すことに夢中であったが、そのうちに何とか話せるようになった。
自分が上手く話せないときは、相手も加減してくれていたのだろう何とか相手の言うことも解った積りであった。
相手はこちらが理解できるであろうレベルのことしか、話しかけてこなかったのだと思う。
少し、話せるようになって調子に乗って英語を喋りだしてから、悪戦苦闘が始まったのである。
相手の喋る英語が全然解らないというより、何を言っているのか皆目、聞き取れないのである。
『ちゃんとした英語を喋って欲しい』と何度思ったことか。
こんな日本人の下手な英語を『ジャングリッシュ』と言うらしい。
カタカナ英語と題して、池谷東大準教授が書いている。
面白かったし、なる程解らぬはずだと改めて思った。
日本のカタカナ英語の綴りがいけないのだと言う。
カタカナの綴りを少し工夫すれば通じたり聞けたりするようになる。
例がいっぱいあるので、その中から、
Can I have ケナヤブ
Do You have ジュヤブ
Do You want to ジュワナ
I want You to アイワニュル と発音すれば通じる。
逆に日本語でこのように言うとこんな意味になり、『直ぐ通じた』のは
親友はげん See You again.
歩けるよ I'll kill You.
かむとぎょうざ Come together.
手でつまんでいい Today is monday.
こんな例が沢山並んでいる。
通じないはずだし聞き取れない道理である。
欧米人にとって、日本人が英語で話しても、『英語で話しかけられていることに気づかない』場合があるという。『日本語は意外に英語によく似ている』と思う人がいると書いてある。
『ホント』と思うかも知れぬが、そんなこともあるようだ。
聞いた話だが、亡くなられた大庭さんがまだ単車の本部長をされていた頃、英語でよくスピーチをされていた。
流石にKMCの社内のアメリカ人にはそれが英語のスピーチであることは解っていたようだが、ある時ニューヨークで一般の方に英語のスピーチをされたら、
『ドクターオオバのスピーチは残念ながら日本語だったので解らなかったと』と言われたというエピソードが残っている。
日本人は、英語が理解できないのでなくて、聞き取れないし発音がダメなのである。
いつも興味深く拝見させていただいてるカワサキ乗りです。
私自身、英語を教える仕事をしていますが、カタカナ英語なるものは存在しないという考えをしています。我々がカタカナ英語と呼んでいるものは、あくまで『日本語』であると思います。その証拠に、我々が『英語』だと思いこんでいる『カタカナ英語』が、どう発音しようと我々の考えている意味通りに相手に通じないものがあるのです。
例えば:
「あいつはユニークな(=オモロイ)顔しとるなぁ」の「ユニーク」の意味は、英語の「unique」(unique = 唯一の、独特の、等)には存在しませんし、「あなたはとってもナイーブな感性の持ち主ですね」とほめ言葉のつもりで「ナイーブ」を使うと相手を怒らせかねません。(naive = 世間知らずの、無知の、等)
すなわち、我々がカタカナ英語と呼ぶ言葉には、日本語独自の意味が定着し、理解されているものが少なからず存在しており、それをそのまま英語のつもりで使うと相手に通じなかったり誤解されるという状況が発生するわけです。
では英語を学習する場合どうするか。
あくまで個人的な見解ではありますが、答えは単純なことだと思います。
英語の発音は、日本語のカタカナや平仮名を用いてはその本来の発音通りに表記することはほぼ不可能なものだと知り(逆に英語音・文字では表しきれない日本語音も多くあります)、ひとつひとつの発音を真摯に学習していくだけのことだと思います。そして「如何にも英語っぽい」発音をする人がいても、それを笑ったりしないことでしょう。(「笑われる」という恐怖感が「らしい」発音をすることをためらわせます。)
俗に言う「ネイティブ並」の発音でなくても、ちょっとしたコツと要所要所の発音を押さえてさえいれば「日本語英語」でも立派に通じるのはその通りであります。
引用されておられる「親友はげん」などは、英語を学習するというよりいくつかのフレーズを覚えて単発的に使いたいと思われる方には便利かもしれませんが、言葉として使い、相手との意思疎通を図る手段として考えると、普遍的・広範に使用できるシステムとは言い難いと思います。
最後になりますが、Japlish、Japanglish、Janglish 等という言葉は肯定的な意味で使われることは少ないようですので、私としては積極的にお使いにならない方がよいと思います。
以上、私見まで。
これを書いておられる東大の先生がおっしゃっていることを紹介したまでですが。
現実に使えるとは私も思いませんね。この日本語を覚える方がむしろ難しいと思います。
ただ確かに、特にアメリカの発音や喋り方は聞いても解らないことが多いのも事実です。
当方の喋るほうは何とか通じていたと思いますが。