雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

カワサキ単車の昔話-55

2007-04-25 06:02:03 | カワサキ単車の昔話
カワサキのサーキット専用4輪スポーツヴィークル、X-11

カワサキの昔話もいろいろあるが、これは4輪に関するもので余り一般には知られていない。
ハードとしては完成し、カタログまで造ったのだが、最後に何故現実の販売にならなかったのか、直接担当はしていたのにもう一つ良く覚えていない。
人間の記憶は本当になくなってしまうこともあるのだと思う。

そんな話を思い出させてくれた人に、ヴィンテージモトクロス、ON ANY SANDAの日に出会った。
大阪の貴島久裕さん。

このヴィンテージモトクロスに深く関係して、立脇君の所からファクトリーマシンを調達して展示したり、ご自分の持っているマシンも展示したりしている方で、当日年寄りの私の話し相手を積極的に引き受けてくれたのだが。

話は、止まるところを知らず面白かった。
その貴島さんからX-11の話が出たのだが、その前の自己紹介を聞いてビックリした。

少し横道にそれるが、解る人が読めば直ぐ解る。このブログをお読みの方も解る人は多いと思うのだが。

「今は自分で商売をやっていますが、以前、Taichi に居ました。」
「佐々木さんのところにもいました。その頃お会いしたこともあります。」
「吉田純一さんの手伝いもしていました。」

夫々、この道では有名人であり、全国区である。
私は直接,深く関係のあった人たちばかりである。

「ここからは、後からの挿入です。 山本隆君のブログのコメントから飛んで行ったのですが、ON ANY SANDAについても、貴島さんについても、詳しく写真入りのブログを見つけました。貴島さんのことホントに詳しく出ています。是非ご覧下さい。ここまで。」

X-11は、

90年の秋、開発NO.015の試作がほぼ完成し、その販売を中心にソフト面でのお手伝いを当時のケイスポーツシステムが引き受けた面白いプロジェクトであった。

どんな4輪かというと、
FJ1600よりは限りなくF3に近いサーキット走行専用車で、
ZX1100ccのエンジンをベースに160PS/105000rpm、車重409kg,
ホントにかっこいいマシンだった。

エンジンは当然カワサキの開発陣が関わったのだが、サポートしてくれた人たちがまた、かっこよかったのである。

シャシーは、FJ1600の創始者で鈴鹿のウエストレーシングカーズ㈱社長の神谷さんが直接担当してくれた本格的なものだった。
このマシンに興味を持ったのは、出来たばかりの4輪の個人メンバーを集めようとした「TIサーキット」の千々岩さんや国井さん。
そのテストと評価は、元F3チャンピオンの佐々木さんで、その評価も上々であった。

その他、星野インパルの金子社長、星野はタイヤの契約の関係で乗れなかったのだが、この件で金子君はわざわざ明石まで足を運んでくれたりした。

少し脱線するが、金子豊君は若い頃、星野と同じカワサキコンバットにいた。
秋田の出で、その後、私が仙台で東北6県を担当した頃もよく遊びに来ていて、彼のトヨタの空冷のスポーツカーで一緒に走りまわったりした仲なので、特に頼みやすかったのである。
90-12-4、発表されたばかりのホンダNSXに乗ってカッコよくやって来た。
チームグリーンの連中が、思わず車に群がったのをよく覚えている。

レース界では名を知らぬ人は居ないほど有名だった、ダンロップの京極さんなどもタッチしてくれている。
大げさに言えば、レース界の日本の最高レベルの人たちが関与してくれていた。

KSSでは、当時のチームグリーン監督の重本君ほかが、いろいろとお手伝いをした。

当時カワサキに出入りしていた岩城洸一や二輪ライダーの宗和なども乗りたくて、乗れたときには子供のように喜んでいた。
乗りたくて仕方がなかったそんな魅力いっぱいのマシンであった。
岡山のTIサーキットでのKAZEのイベントでルマン耐久3位入賞コンビの宗和,多田が走行披露したりしたこともあった。

特に、二輪エンジン10,000回転を上回る独特のノイズが何とも言えぬいいムードであった。

TIをベースにテストは続けられ、川重社内の経営会議決済でも承認された。
当時の社長の「大庭さんも上機嫌」と日記には書いてある。91-10-17のことである。

当時の雑誌、カーグラフィックにも記事が掲載され、その評価も至って良く、カタログも作って1台800万円ぐらいで売り出すべく準備をしていたのだが。

そこまでの記憶も記録もあるのだが、何故本格的な発売にならなかったのか、それが解らないのである。

私自身は、松井田のサーキットや、JJSBAの改組、新宿ショールームなど同時進行の面白いプロジェクトを手一杯に持っていて、X11はアタマの片隅にしかなかったのか。
そんなことはないと思うのだが、どうしても思い出せない。

今日はこのくらいにして、また調べてみたい。貴島さんとの話でXー11を思い出した。




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8 コメント

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Unknown (MJ)
2007-04-25 23:54:03
明石の川崎のショールームに飾ってあったマシンですね。

フナキレーシングが開発したマシンと聞いておりました。
返信する
Unknown (rfuruya1)
2007-04-26 06:57:27
こんにちは。

明石のショールームにも、TIサーキットにも飾ったことがあります。
ご覧になったのですか。

フナキレーシング、鈴鹿ですよね。関係があったかも知れませんが、メイン神谷さんのところです。

契約もありましたし、私も何度もお会いしました。
いずれにしても、懐かしい昔話になりました。
返信する
X-11のことは・・ (貴島久裕)
2007-04-30 03:16:24
そのX-11を思い出させた張本人、貴島です。
古谷様のおっしゃるとおり、アド時代に明石のショウルームで拝見しました。真っ白なフォーミュラシャーシにZZR1100のエンジン。「ああ、二輪のエンジンもこういう使い方があるのだなあ。。」と感心した覚えがあります。(同時に、ショウルームの受付嬢のも関心がありましたが・・カンシン違いですかね(笑))
しかし、80~90年代に以降するあのころは、モータースポーツも華やかなりし時代。

もう二度とあのようなマシンの企画、販売など川重からは出てこないような気がします。

さて、話題はかわりますが、本日、立脇氏のお店にお伺いし、先日のお礼を申し上げてこようと思っています。立脇氏とはTaichi時代の契約ライダーと社員の関係以来・・こちらも約20年ぶりの再会でした。マシンは我が倉庫にて保管中。夏の愛知でのレースでも展示させていただく予定です。
ワークスマシン(古谷様的には、工場レーサーですね)
を眺めているときが、ワタシの至福のひとときです。
返信する
X-11 (rfuruya1)
2007-04-30 06:04:50
昨日X-11のことで、これの開発を担当した山田君から、メール貰いました。いろんなこと解りましたのでまたいつか、続きをアップします。

山本隆君が写真ブログにアップしましたので、それをリンクしてアップします。
貴島さんのこと書いてあるsunny dayのブログも。
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Unknown (MJ)
2007-05-08 22:14:18
x11拝見したいです。やはり失われてしまったのでしょうか?
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X-11 (rfuruya1)
2007-05-09 06:04:10
よく解りませんが、今はないと思います。

1台は東京のカワサキの販売店の藤木さんが買ってくれたのですが、FISCOでクラッシュしたとか。

このブログを更新した後、X-11の設計者に聞いた話です。
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Unknown (MJ)
2007-05-13 23:44:03
もしかして、そのようなフォーミュラーを作ったということは、これの延長線上に、ヤマハのようにエンジンサプライヤーとして、フォーミュラ進出を念頭に置かれていた、又は構想というのは当時あったのでしょうか?マシンを作ったウエストの方、金子氏や、佐々木選手などがかかわっていたとの事ですので・・・・。


不躾で申し訳ありません。
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Unknown (rfuruya1)
2007-05-14 08:00:15
こんにちは。
当時、岡山のTIなど個人のユーザーによるサーキット走行なども企画されていて、事実TIとはいろいろ話がありました。
そこから先は、いろいろ構想はあったとしてもそんなに具体的なところまでは行っていなかったと思います。
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