夕方3時半の上野公園(2008/11/3)。秋の夕暮れが近い。東京国立博物館の表敬館を訪れる。
スリランカとはシンハラ語で光輝く島の意味である。アショーカ王の時代の前3世紀、マヒンダ王子によってスリランカに上座部仏教が伝えられた。
①“アヌラーダプラ時代(前3~後11世紀)” 「ヤクシニー」(16:前4世紀)は細い腰をくねらせた女神の石像で妖艶である。南インドからの輸入。
「如来坐像」(22-25:9-10世紀)はいずれも小ぶりで全体にさらっとした感じである。
「パドマニディ・ガードストーン」(45:9世紀)の蓮の精霊ヤクシャは太っているがかわいい。ガードストーンは寺院などの入り口に左右対に置かれる。「如来立像」(27:10世紀頃)は黒目が失われているが白目に銀が嵌め込まれ高貴である。「アプサラス像」(48・49:6世紀)は大きい乳房のテラコッタ像。シーギリヤ出土。カンボジアのボロブドール壁画で天女アプサラとして登場する。「打刻印銀貨」(1:2-3世紀)は打刻された模様or文字が美しい。「カワハヌ金貨」(6:10世紀)がキラキラときれいでかわいい。
「観音菩薩坐像」(35:9世紀)が美しく目を奪う。筋肉が写実的でなまなましい。くつろいだ姿勢が妖艶。金色がまぶしい。
この頃大乗仏教が広まり菩薩像が作られた。「金剛手菩薩立像」(32:9世紀)は小さいが精巧で厳しい印象を与える。三鈷杵(サンコショ)を手に持ち密教の仏像である。「金板二万五千頌般若経断簡」(44:9世紀)が金製でキラキラ輝く。大乗仏教の遺品である。
②“ポロンナルワ時代から諸王国時代(11~16世紀)” インドのチョーラ朝(タミル人)が11世紀にスリランカ北部を征服。シンハラ人はポロンナルワに都をうつす。ただし彼らは12世紀にチョーラ朝を駆逐。12-13世紀にシンハラ人の王朝が繁栄する。チョーラ朝の進出とともにヒンドゥー教がスリランカに入る。 「シヴァ・ナタラージャ像(踊るシバ神像)」(59:12世紀)が大きくかっこよく迫力がある。
「ガネーシャ座像とヴァーハナ」(63:12世紀)は不思議にインパクトがある。ガネーシャはシヴァ神とパールヴァティ妃神との息子。ガネーシャが父に首を切られた後、最初に通ったのが象でその首をつけることで彼は生き返った。ガネーシャの乗り物がねずみ=ヴァーハナである。
「カーライッカール・アッマイヤール坐像」(66:12世紀)は強烈。シヴァに捧げるため女性の美しさをなくすようシヴァに祈った女性がその願いの通り醜い老婆となる。彼女はヒンドゥーの聖者である。
③“キャンディ時代とそれ以降(16~20世紀)” 16世紀、沿岸をポルトガルが支配、続いて1658年以降オランダが支配。中央部にはキャンティ王国が興る。このシンハラの王朝の王統が途絶えるとインドのナーヤカ朝の王が呼ばれる:後期キャンティ時代。この時代に仏教の復興がなされタイのアユタヤなどから僧が招かれる。しかし1815年にイギリスに敗れ植民地化された。 「仏涅槃像」(79:18-19世紀)は後期キャンディ王朝による仏教復興の中で製作される。穏やかで心和む。
「如来立像」(80:18-19世紀)がしゃれている。怪魚マカラと獅子が仏を囲む。
「櫛」(88-97:18-19世紀)は一連の象牙の精巧な透かし彫り製品である。洗練されている。
「耳かき」(98・99:18世紀)が愉快。象牙製。「浣腸器」(108・109:18世紀)は医療器具だが大きいほうが象用であると驚く。獣医のものだろう。「キンマ用盆」(139:19世紀)、「唾壺(ダコ)」(140:18世紀)、「檳榔子(ビンロウジ)すり器」(141:1906年)が台湾と同じ嗜好品の存在を思わせた。檳榔子の木の実と、石灰の粉とを、キンマ( コショウ科の蔓性の半低木)の葉で包み、口に入れて噛む。唾液と混ざると口の中が真っ赤になる。その唾を捨てる。そして酩酊感を楽しむ。
「蝶型ブローチ」(123:18世紀)が豪華ですごい。
「ナーガ・ラークシャ・マスク」(145:1968年)はコーラムと呼ばれる仮面劇のマスクで強烈。目が飛び出しベロを出し絡んだ多数の蛇が頭を前に出す。
④“レプリカ”の展示では「ダラダーマルワのラトナギリ・ワタダーゲー模型」(オリジナル:12世紀)がかつて仏塔には屋根があったことを示す。
表敬館を出れば午後6時前。外は暗くなっていた。上野駅まで歩く。