「玉胸飾り」西周時代(前10~前9世紀):孤形や動物形の玉と、瑪瑙の管や珠の胸飾り。西周王朝で王侯が身につけたもの。春秋時代の秦は、西周の青銅器や玉器にあこがれ、その多くを取り入れた。青白色の玉と赤い瑪瑙の対比が美しい。
「玉剣・金剣鞘」春秋時代(前8~前7世紀):玉製の短剣と金製の鞘。芮という秦に隣接した国のもの。青銅製で同形の短剣と金器が、秦と北方草原の墓で出土する。
「両詔権」秦時代(前3世紀):始皇帝は、天下統一後、度量衡統一を行った。権は重量の規準となる重り。青銅製のこの権は、始皇帝の詔勅と二世皇帝の詔勅が刻まれ、両詔権と呼ばれる。
兵馬俑は、始皇帝の一つの軍団を写したもの。そのため、将軍、歩兵、騎兵など様々の将兵からなる。
「将軍俑」秦時代(前3世紀)秦始皇帝陵1号兵馬俑坑出土: 湾曲した冠と丈の長い、房飾り付きの鎧を身につける。組んだ両手の下には、剣を立てていたという説がある。
「歩兵俑」秦時代(前3世紀)秦始皇帝陵1号兵馬俑坑出土:軽装備の戦士。髷を高々と結い上げ、髭をたくわえた戦士。上着を革帯で留める。歩きやすいよう丈の短いズボンに脚絆を着用。当初は右手に弩弓を持っていたと推測される。
「玉剣・金剣鞘」春秋時代(前8~前7世紀):玉製の短剣と金製の鞘。芮という秦に隣接した国のもの。青銅製で同形の短剣と金器が、秦と北方草原の墓で出土する。
「両詔権」秦時代(前3世紀):始皇帝は、天下統一後、度量衡統一を行った。権は重量の規準となる重り。青銅製のこの権は、始皇帝の詔勅と二世皇帝の詔勅が刻まれ、両詔権と呼ばれる。
兵馬俑は、始皇帝の一つの軍団を写したもの。そのため、将軍、歩兵、騎兵など様々の将兵からなる。
「将軍俑」秦時代(前3世紀)秦始皇帝陵1号兵馬俑坑出土: 湾曲した冠と丈の長い、房飾り付きの鎧を身につける。組んだ両手の下には、剣を立てていたという説がある。
「歩兵俑」秦時代(前3世紀)秦始皇帝陵1号兵馬俑坑出土:軽装備の戦士。髷を高々と結い上げ、髭をたくわえた戦士。上着を革帯で留める。歩きやすいよう丈の短いズボンに脚絆を着用。当初は右手に弩弓を持っていたと推測される。