東京駅から昼の暑い日射しの中、三菱一号館美術館まで歩く。
エドゥアール・マネ(1832-1883)とナポレオン3世のパリ大改造は同時代。今のパリの街並みが出現した。
ナポレオン3世の美しい皇后ウジェニーがスペインからやってきてパリはスペインブーム。マネはスペイン、プラド美術館に旅行し尊敬するベラスケスを見る。
マネ「街の歌い手」(1862年頃)は流しの歌手を描く。ゾラが一番好きだと言った絵。
マネは「見たまま」を描く。またリアリズムの黒の魅力を知る。マネ「死せる闘牛士(死せる男)」(1865年)の主題は黒である。
ボードレール亡きあとエミール・ゾラがマネを支持する。マネは肖像画「エミール・ゾラ」(1868年)を描く。
普仏戦争後、1871年、パリ・コミューンにマネは友人ドガと参加する。コミューンが崩壊する血の一週間のすさまじい虐殺。 エドガー・ドガ「ル・ペルティエ街のオペラ座の稽古場」(1872年)がすばらしい。動きが絵画化される。
マネの同志だったベルト・モリゾ。二人の信頼感と自信が「すみれの花束をつけたベルト・モリゾ」(1872年)に表現される。マネ40歳、モリゾ31歳。 第1回印象派展へのベルト・モリゾの誘いを、サロンにこだわるマネが断り二人は疎遠となる。
マネ「ラトゥイユ親父の店」(1879年)は女を口説く男の滑稽さをリアルに描く。
マネの「ミューズ」がメリー・ローラン。非難されるばかりの個展で「すばらしい!」とマネの作品をほめた女性。マネの生涯の友マラルメが彼女にあこがれた。
マネ展を見終わり三菱一号館美術館周りの木陰から外に出れば、日射しは来たとき同様、焼けるようだった。