近江路、満喫してきましたよ。
最大の目的は、映画「偉大なる、しゅららぼん」と大河ドラマ「軍師官兵衛」のロケ地巡りです。
琵琶湖のほとり
2日間で、万歩計の数値は計31736歩(18日17106歩、19日14630歩)
木々の葉も紅や黄に美しく染まり充実の2日間でした。
滋賀県京都府
京都までは、往復新幹線です。
11月22日(土)博多07:05発 京都09:52着 のぞみ6号
・・・・・・・・・・・・・京都10:30発 長浜11:39着 JR北陸本線快速長浜行
11月23日(日)彦根13:06発 京都14・07着 JR東海山陽本線快速姫路行
・・・・・・・・・・・・・京都20:29発 博多23:14着 のぞみ57号
『近江路散策日程』
11月22日(土)長浜、彦根
11月22日(日)竹生島、京都
レポは、
その1≪長浜編≫・・今日です。
その2≪国宝彦根城編≫
その3≪竹生島編≫
その4≪すこしだけ京都編≫
その5≪グルメ&お土産編≫
・・へと、続きます。
どうぞおつきあいくださいね~。
京都に着いて、まず長浜に向かいました。
そうです、長浜は秀吉が作ったまちなんですねぇ。
戦国大名浅井氏の居城であり堅固な山城として知られた小谷城が織田信長に攻められ落城し、それまで北近江を治めていた浅井氏が滅亡します。秀吉(当時、木下藤吉郎)は活躍が認められて、その北近江の地を与えられます。しかし秀吉は、小谷城よりも、湖上交通の要衝となる場所に城を作ることとし、「今浜」という町に城を完成させ、名を「長浜」に変え、城下町を形成しました。長浜の長は、織田信長の「長」をとったものです。
築城年1573年
現在の天守は1983年に犬山城や伏見城をモデルにし模擬復元されたものです。
そう!長浜城は、黒田官兵衛の息子・松寿(のちの長政)が織田信長の人質として一時期を過ごした城です。
佐和山には、佐和山城址があります。
佐和山城、築年は鎌倉時代。
天正18年(1590年。時期については異説あり)には五奉行の一人である石田三成が入城しました。三成は、当時荒廃していたという佐和山城に大改修を行って山頂に五層(三層説あり)の天守が高くそびえたつほどの近世城郭を築き、人をして「治部少(じぶのしょう。三成のこと)に過ぎたるもの二つあり 島の左近と佐和山の城」と言わしめました。
長浜市石田町生まれの三成が、観音寺で修行をしていたある日のこと。当時長浜城主だった秀吉が鷹狩りの途中に立寄ったところ、最初は大きい茶碗にぬるいお茶をなみなみと、次は前より少し熱くして半分ほどのお茶を、最後には小さな茶碗に熱くした少しのお茶を差しだしました。この三成の心配りに感心した秀吉は、やがて三成を召抱えることとなりました。これが有名な「三献の茶」の逸話です。この像は、二人の出逢いをモチーフに昭和56年9月に駅前に建立されたものです。
さあ、長浜駅からほど近くの長浜旧市街地へ。
秀吉とは別の、もうひとつの長浜の顔がみられます。
北国街道(ほっこくかいどう)とは、江戸時代における北陸道の呼称。
長浜のまちを南北に走る旧・北国街道沿いには、古くからの黒漆喰の建物がたくさん残っていて、それらを生かして「黒壁スクエア」という観光スポットが形成されています。
黒壁1號館(いちごうかん)は黒壁ガラス館です。明治時代に建築された旧第百三十銀行の建物でした。黒漆喰の壁で色が黒いことから黒壁銀行という愛称で親しまれてきたそうです。
その後、明治銀行、紡績会社、煙草専門公社などを経て長浜カトリック教会となり、1987年に教会の移転に伴い、建物の解体の話が持ち上がったそうです。しかし、市民からは歴史のある建物である黒壁を保全してほしいとの要望があり、翌1988年に黒壁の保存と市街地の活性化を目的として、第三セクター「黒壁」が設立されました。
ガラスのショップがずらり。また、工房も併設されているため、ガラス細工を製作している様子も見ることができます。街の至るところにガラスのオブジェも配されていて、透明感のある作品と漆黒の建物の対比も見ものです。
もともと長浜はガラス工芸とは関係なかったのですが、関係がなかったからこそガラス工芸を選んだそうですよ。
黒漆喰は、秀吉に関係あるの?
いいえ。
硝子工芸は歴史があるの?
いいえ。
両方ともそうではないんですね~。びっくりくり!!!
ただ「人が集まりそうだから」というのが理由。
第三セクターとしては、成功したまち。なのです。
黒田官兵衛の黒田家のルーツは諸説ありますが、有力候補と目される場所がここ、長浜市です。
共通語では「長浜」は平板型アクセントで発音されることが多いが、正しくは「なが」または「が」を高く発音するアクセントなんだそうですよ。
クリックすると大きくなります。
レポは、≪国宝彦根城編≫へと続きます。
よろしくお願いします。
最大の目的は、映画「偉大なる、しゅららぼん」と大河ドラマ「軍師官兵衛」のロケ地巡りです。
琵琶湖のほとり
2日間で、万歩計の数値は計31736歩(18日17106歩、19日14630歩)
木々の葉も紅や黄に美しく染まり充実の2日間でした。
滋賀県京都府
京都までは、往復新幹線です。
11月22日(土)博多07:05発 京都09:52着 のぞみ6号
・・・・・・・・・・・・・京都10:30発 長浜11:39着 JR北陸本線快速長浜行
11月23日(日)彦根13:06発 京都14・07着 JR東海山陽本線快速姫路行
・・・・・・・・・・・・・京都20:29発 博多23:14着 のぞみ57号
『近江路散策日程』
11月22日(土)長浜、彦根
11月22日(日)竹生島、京都
レポは、
その1≪長浜編≫・・今日です。
その2≪国宝彦根城編≫
その3≪竹生島編≫
その4≪すこしだけ京都編≫
その5≪グルメ&お土産編≫
・・へと、続きます。
どうぞおつきあいくださいね~。
京都に着いて、まず長浜に向かいました。
そうです、長浜は秀吉が作ったまちなんですねぇ。
戦国大名浅井氏の居城であり堅固な山城として知られた小谷城が織田信長に攻められ落城し、それまで北近江を治めていた浅井氏が滅亡します。秀吉(当時、木下藤吉郎)は活躍が認められて、その北近江の地を与えられます。しかし秀吉は、小谷城よりも、湖上交通の要衝となる場所に城を作ることとし、「今浜」という町に城を完成させ、名を「長浜」に変え、城下町を形成しました。長浜の長は、織田信長の「長」をとったものです。
築城年1573年
長浜城です。長浜駅の窓から。
現在の天守は1983年に犬山城や伏見城をモデルにし模擬復元されたものです。
そう!長浜城は、黒田官兵衛の息子・松寿(のちの長政)が織田信長の人質として一時期を過ごした城です。
長浜駅から佐和山が見えます。
石田三成の家紋ですね。
佐和山には、佐和山城址があります。
佐和山城、築年は鎌倉時代。
天正18年(1590年。時期については異説あり)には五奉行の一人である石田三成が入城しました。三成は、当時荒廃していたという佐和山城に大改修を行って山頂に五層(三層説あり)の天守が高くそびえたつほどの近世城郭を築き、人をして「治部少(じぶのしょう。三成のこと)に過ぎたるもの二つあり 島の左近と佐和山の城」と言わしめました。
秀吉三成出逢いの像
長浜市石田町生まれの三成が、観音寺で修行をしていたある日のこと。当時長浜城主だった秀吉が鷹狩りの途中に立寄ったところ、最初は大きい茶碗にぬるいお茶をなみなみと、次は前より少し熱くして半分ほどのお茶を、最後には小さな茶碗に熱くした少しのお茶を差しだしました。この三成の心配りに感心した秀吉は、やがて三成を召抱えることとなりました。これが有名な「三献の茶」の逸話です。この像は、二人の出逢いをモチーフに昭和56年9月に駅前に建立されたものです。
さあ、長浜駅からほど近くの長浜旧市街地へ。
秀吉とは別の、もうひとつの長浜の顔がみられます。
北国街道
北国街道(ほっこくかいどう)とは、江戸時代における北陸道の呼称。
長浜のまちを南北に走る旧・北国街道沿いには、古くからの黒漆喰の建物がたくさん残っていて、それらを生かして「黒壁スクエア」という観光スポットが形成されています。
黒壁1號館
黒壁1號館(いちごうかん)は黒壁ガラス館です。明治時代に建築された旧第百三十銀行の建物でした。黒漆喰の壁で色が黒いことから黒壁銀行という愛称で親しまれてきたそうです。
その後、明治銀行、紡績会社、煙草専門公社などを経て長浜カトリック教会となり、1987年に教会の移転に伴い、建物の解体の話が持ち上がったそうです。しかし、市民からは歴史のある建物である黒壁を保全してほしいとの要望があり、翌1988年に黒壁の保存と市街地の活性化を目的として、第三セクター「黒壁」が設立されました。
祝町通りです。ステンドグラス街灯が並びます。
ガラスのショップがずらり。また、工房も併設されているため、ガラス細工を製作している様子も見ることができます。街の至るところにガラスのオブジェも配されていて、透明感のある作品と漆黒の建物の対比も見ものです。
もともと長浜はガラス工芸とは関係なかったのですが、関係がなかったからこそガラス工芸を選んだそうですよ。
黒漆喰は、秀吉に関係あるの?
いいえ。
硝子工芸は歴史があるの?
いいえ。
両方ともそうではないんですね~。びっくりくり!!!
ただ「人が集まりそうだから」というのが理由。
第三セクターとしては、成功したまち。なのです。
大手門通り
黒田官兵衛の黒田家のルーツは諸説ありますが、有力候補と目される場所がここ、長浜市です。
共通語では「長浜」は平板型アクセントで発音されることが多いが、正しくは「なが」または「が」を高く発音するアクセントなんだそうですよ。
クリックすると大きくなります。
長浜市のマンホール
秀吉の馬印である千成瓢箪のデザイン。
レポは、≪国宝彦根城編≫へと続きます。
よろしくお願いします。
濃いピンクが長浜市
近江路11月22~23日訪問
・・
歴史に関係ないことで人を呼ぶって、面白いですね。
江戸時代は北陸が北国だったんですね^^
したっけ。
歴史を感じるよね。
最近ね
大河ドラマのあと ゆかりの土地を紹介するコーナー見てて ここ はなこころしゃんところだぁって見てる時がある(笑)
いいところですよね。一度行きたいです。
二日間で31736歩とは頑張りましたね、
長浜、どうでしたか~~~
堪能できましたか?
私はツアーだったので、黒壁スクエアを少しと
翌朝の散歩で長浜城の外観だけでしたが・・・
また行ってみたい場所です。
トラックバックさせていただきました。
よろしくお願いします。
友人の実家がありますが、私は行ったことがありません。
是非行ってみたいところです。
彦根城も楽しみです。
自分も、写真にはそれなりの自信はあったはずですが、玉砕したカンジです(^ ^;
楽しませていただきますね^^
歴史を感じられる街並みにうっとり・・・
「黒壁スクエア」も素敵ですね。
いっぱい歩いて歴史を感じられたでしょうね♪
歩いてると色んな発見もあって楽しいよね。
ポイントを押さえてますね!
母の実家が彦根の近くなので、旅としてこの辺りを回ることはないんですねー
長浜もじっくり見てみないと、と思いました。
知っておればお迎えに参上しましたに・・。
長浜・彦根とは対岸なので、泳いではいけませんが・・。
私は彦根から見える湖西地方に住まいしておりまする。
今度はこちらにも来て下さい。
何にもないところですが・・。