広島におじゃましました。
さあ 秋の安芸、満喫します。
旅のタイトルは『来んさい安芸へ』で~す。
広島県
『来んさい安芸へ日程』
11月22日(日)
JR新幹線のぞみ12号・東京行 08:04発~09:12着
●宮島
11月23日(月)
●地御前神社
●平和記念公園
●広島城
●絶景園
JR新幹線のぞみ39号・博多行 18:09発~19:11着
途中移動は、広島電鉄です。
レポは、
その1
≪厳島神社編≫・・今日です。
その2≪てくてく宮島編≫
その3≪とことこ広島編≫
その4≪グルメ&お土産編≫
・・へと、続きます。
はじまり
広島は、何度もおじゃましたことのある場所です。
厳島神社も、何度も参拝させていただきました。
けど、引き潮の時間、おじゃましたのは、初めてです。
≪厳島神社≫廿日市市 11月22日
1996年に登録された世界遺産(文化遺産)で、広島県廿日市(はつかいち)市宮島町にある。瀬戸内海に浮かぶ宮島(別名、厳島)は、日本三景の一つに数えられる。この神社は、平安時代末期、武士による新しい社会体制を築いた権力者、平清盛ゆかりの建物である。海の上に配置された建造物の多くは、13世紀までに再建されたものであるが、創建時の様式が忠実に復元されており、平安時代の寝殿造りの特徴を顕著に表している。
ネット画像
色鮮やかな朱塗りの社殿が海に向かって鳥が羽を広げるように伸び、本社本殿など37棟の建物が300mに及ぶ回廊で結ばれている。満潮時には大鳥居とともに海に浮かんで見える、世界でも類を見ない宗教施設であり、日本古来の精神性を伝える特異な建造物と景観が評価され、世界遺産に登録された。
宮島に着いたのは、お昼ごろ。潮は引いていました。
潮の満ち引きは、およそ6時間おきです。
写真には、地図と同じ番号をつけました。
22日引き潮、23日満ち潮、2日分の写真です。
11月22日の
満潮は18:41 干潮は12:30
引き潮
11月22日12:00頃の写真たち
≪①参拝入口≫
社殿のほとんどが国宝です。
それ以外の部分と大鳥居は重要文化財です。
御本社を中心に177棟の社殿が左右対称に配されています。「寝殿造り」を取り入れたものです。
≪③祓殿(はらいでん)≫
まず、お祓いをさせていただきます。修祓。
≪⑥東回廊≫
⑤≪鏡池≫が見えます。古来から絶えず清水がわくといわれています。
回廊は108間あり、柱と柱の間は8尺で、8枚の板が並びます。
8は、縁起よい数字で、神仏習合の名残とされています。
すべての柱が埋もれておらず、ただ石の上におかれただけです。
≪⑧祓殿(はらいでん)≫
神事のさい使用される場所です。
≪⑨高舞台≫
本社祓殿前にある、黒漆塗りの基壇に朱塗りの高欄をめぐらし前後に階段をつけた舞台で、平清盛が大阪・四天王寺から移したという舞楽がここで演じられます。舞楽の舞台としては最小のもの。現在の舞台は天文15年(1546年)、棚守房顕によって作られたもので、当初は組立て式だったものが江戸時代初期に現在のような作り付け構造になったと考えられています。
≪⑨平舞台≫
寝殿造りの庭にあたる部分で、広さは167.6坪(約553平方メートル)。
安元2年(1176年)、平氏一門が社参して千僧供養が行われた際、社殿の前方に仮廊を設けたという記録があり、こうした仮廊が常設となったものともいわれます。前方には火焼前(ひたさき)と呼ばれる突き出た箇所があり、管絃祭の出御・還御はここから行われます。また他の社殿の束柱は木造ですが、この平舞台を支えるのは、毛利元就によって寄進されたと伝えられる赤間石の柱。火焼前分と合わせると239本あります。
≪⑪天神社≫
藤原道真公をお祀りしています。
≪⑫そり橋≫
かつては重要な祭事の際、勅使がこの橋を渡って本社内に入ったことから別名・勅使橋(ちょくしばし)とも呼ばれました。現在の橋は、弘治3年(1557年)に毛利元就・隆元父子によって再建されたもので、擬宝珠の一つに刻銘が残っています。
≪全景≫
夜中 こんなふうに潮が引くと、いのししが潮干狩りにやってくるそうですよ。
≪⑯大鳥居≫
奈良の大仏とほぼ同じ高さの16m、重量は約60t。
根元は海底に埋められているわけではなく、松材の杭を打って地盤を強化し、箱型の島木の中に石を詰めて加重するなど、先人の知恵と工夫によって鳥居の重みだけで立っています。
西に「三日月」が描かれています。
真下から見ます。
扁額は有栖川宮熾仁親王による御染筆。
沖側は、「厳島神社」清盛の時代以降の名称です。
本殿側は、「伊都岐島神社」清盛の時代以前の名称です。
東に「太陽」が描かれています。
海水に浸るところまで、フジツボがびっしりです。
主柱は樹齢500~600年のクスノキです。
8代目にあたる現在の鳥居を建立するにあたっては、巨木探しに20年近い歳月を要したといいます。向かって右側が宮崎県、左側が香川県から運ばれました。
11月22日の人出は3万人だったとか。
うまく、社殿内の様子が写せませんでした
宿は、厳島神社のすぐそばでしたので、もういちど、参拝させていただきます。
翌朝、潮が満ちています。
11月23日の
満潮は7:23と19:32 干潮は1:07と13:31
満ち潮
11月23日07:30頃の写真たち
≪②カラス≫
宮島の神の使いとされたのがカラスです。
神烏(おがらす)と呼ばれ、厳島神社の姫神が鎮座の場所を探して舟で島の浦々を巡られたとき、先導役を果たして舟を今の厳島神社の場所に導いたと云われています。
宮島の神の使いは、鹿だとばかり思っていました。たくさんの鹿は昔から自生しているのだそうです。
≪①参拝入口≫
まだまだ、朝早かったので、参拝客もまばら。
綺麗に写せました。
≪④客神社(まろうどじんじゃ)≫
御本社にお祀りしてある宗像三女神の兄弟にあたる、天忍穂耳命(あめのおしほのみこと)天穂日命(あめのほひのみこと)天津彦根命(あまつひこねのみこと)活津彦根命(いくつひこねのみこと)熊野櫞樟日命(くまのくすのひのみこと)が祀られてます。
前日は、人だかりでした。
≪⑥東回廊≫
引き潮のさい見えた≪鏡池≫は、もう見えません。
廻廊は幅4m、長さは約275m。床板の間に目透しという隙間があり、高潮の時に下から押しあがってくる海水の圧力を弱め、海水や雨水を海へ流す役目を果たしています。
内側の床板は二重になっています。
頑丈にするため清盛の時代の板に被せたのだそうです。
平舞台の方角を撮りました。
≪⑦御本殿≫
繊細かつ華麗な切妻両流造りで、正面には緑青塗りの引き違いの菱形の格子戸がはめられています。
天照大神の娘、市杵島姫(いちきしまひめ)・湍津姫(たぎつひめ)・田心姫(たごりひめ)の宗像三女神が祭られています。
屋根に神社の定番とも言える千木と鰹木を持たず、桧皮葺の屋根に瓦を積んだ化粧棟のスタイルを取り入れた寝殿造りならではの様式が特徴です。
現在の本殿は元亀2年(1571年)、毛利元就によって改築されたものです。
≪⑩火焼前(ひたさき)≫
平舞台の先にあります。ここから大鳥居までは88間です。
ほら、ここにも 縁起の良い8です。
青銅製の灯籠は340年以上のものです。
大鳥居が真正面から撮影できるのはここだけです。
≪⑭みくじ奉納所≫
厳島神社のご神紋は、「三つの二重亀甲に剣花菱」です。
これは出雲大社の神紋を三つにしたものです。
出雲大社のご神紋
「二重亀甲に剣花菱」
≪⑬能舞台≫
国内でも唯一の海に浮かぶ能舞台。
現在、重要文化財に指定されている国内5つの能舞台のうちの1つでもあります。
厳島での演能は、永禄11年(1568年)の観世太夫の来演がその始まりとされ、慶長10年(1605年)には福島正則が常設の能舞台を寄進。現在の舞台と橋掛及び楽屋が建立されたのは藩主が浅野氏に代わった延宝8年(1680年)のことです。この能舞台は海上にあるため通常は能舞台の床下に置かれる共鳴用の甕(かめ)がなく、足拍子の響きをよくするため舞台の床が一枚の板のようになっているのが特徴。春の桃花祭神能がこの舞台で演じられるほか、茶道表千家と裏千家家元が隔年交互に執り行う献茶祭ではここでお茶が点てられ御神前に献じられます。
≪⑮出口≫
立派な唐破風。清盛が音戸の瀬戸を築くまで、船は宮島の南側を周り西側に着岸していました。当時はこちらが入り口だったという説もあります。
入口も出口も、朝早かったのでうまく写せました。
11月22日の
満潮は18:41 干潮は12:30
満ち潮
11月22日20:30頃の写真です。
≪⑯大鳥居≫
ライトアップされた大鳥居です。
地図の
①から
⑯まで、まとめました。
2日に渡っていますので、重複もしています。
わかりにくかった?でしょうか。
世界遺産、「厳島神社」
その姿は、身を海にゆだねる緩やかなさを伝えています。
今回、潮が引いた場面、潮が満ちた場面、そして夜景
3つの異なる表情を見ることができて、ほんとうにしあわせでした。
二礼二拍手一礼。
おしまい
広島へは、新幹線に乗れば、一時間強で、着きます。
着いた日は連休の初日で、広島電鉄は満員。
博多から広島までの所要時間より、
広島に着いて 広島駅から、宮島行のフェリー乗り場のある宮島口へのほうが
はるかに、かかりました。
広島は、どうして地下鉄がないのでしょう。
赤信号のたびに、停車しては、なかなか進みません。
『来んさい安芸へ』
レポは、≪てくてく宮島編≫へと続きます。
よろしくお願いします。
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