吉田松陰、
亡くなりましたね、こないだのNHK大河。
松陰の命を絶った人は、いったいどんな人なのでしょう。
「山田浅右衛門」という人。です。
この「山田浅右衛門」は一種の「屋号」のようなもので、初代浅右衛門、三代目浅右衛門…などというように、八代にわたって存在したそうです。
山田浅右衛門 - Wikipedia
吉田松陰の斬首に携わったのは、七代目浅右衛門です。
一見武士のように感じられるが、実はその身分は「浪人」であり、幕府に仕える正規の武士ではなかった。その特殊な稼業が「穢れ」の域であるところから武士という身分を避けた、浪人である方がその特殊な稼業や世襲をする際に都合がよかった、などと色々な理由が言われている。この浅右衛門家、斬首刑の執行は正確には「副業」であり、本業は「公儀御試御用」といって、将軍家に納められる刀剣の切れ味を実際に「試し斬り」をして確かめるという仕事をしていた。
安政の大獄では、橋本佐内も七代目浅右衛門により斬首されています。
とても、大変な仕事だったことがうかがわれます。
人の死に様は、人それぞれであると言うが、斬首で死ぬという結末は一種類に絞られるわけである。その瞬間は斬る側と切られる側は一体である。しかし、首を刎ねた直後の意識は、斬る方に全ての負担となって残る。因果な家系であった。
吉田松陰が斬首刑に処されたのは満29歳。
安政6年(1859年)10月27日。
未来ある若者の命を絶つ。その生業に誇りを持つ。
そのような役職についていた人もいたとういう事実、頭に入れておかねば。と、思いました。
参考にさせていただいたサイトです。
抗議が殺到したNHK大河ドラマの〝松陰の殺し方〞とは!?
江戸時代の死刑-山田浅右衛門家の話
平成の首切り浅右衛門
最後の斬首刑で役目を終えた山田浅右衛門
ありがとうございます。とても勉強になりました。
福岡は3月22日発表、29日満開。
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