みみかほう

こころの耳をすませて すてきな果報にであいたいとおもいます。

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● ゲゲゲの女房(映画)

2010年12月28日 | ✿映画
水木しげるさんはどこかな
≪水木しげるさんはどこかな≫


連ドラの方もね、見てなかったし、
原作もね、読んでないのですよ。


ただ~

以前 水木しげるさんの半生を、香川照之さんが演じていらしたドラマ「鬼太郎が見た玉砕」を見たことがありますし、、、
のんのんばあと、水木さんの関係なんかも興味がありましたし、、、

それになにより~

今現在、水木夫妻が住んでいらっしゃる東京都調布市に、先日おじゃましてきましたし、、、






この水木しげるさんを支えた奥さまのお話~知っておこうと
思って、映画を見て来ました。



映画『ゲゲゲの女房』予告編




・・・「ゲゲゲの鬼太郎」などで日本を代表する漫画家・水木しげるを、妻として支えてきた布枝夫人の自伝を映画化。お見合いをして5日後に結婚した水木しげると布枝夫人が、貧乏時代を経て、人気漫画家となるまでの半生がつづられる。原作者でもある布枝夫人を演じるのは『釣りバカ日誌20 ファイナル』の吹石一恵。監督や脚本家としても活躍中の宮藤官九郎が水木を演じる。苦楽を共にする夫婦の究極の純愛が堪能できる一作。





・・・貧乏生活のさなか、すでに40歳近い水木を心配する両親の強い薦めで、島根県能義郡大塚村(現在の島根県安来市)出身の飯塚布枝と見合いで昭和36年(1961年)に結婚した。武良布枝著『ゲゲゲの女房』27-28頁には「こういうと、いまの若い人には奇異に聞こえるかもしれませんが、都会ならいざ知らず、当時の地方では、見合い結婚が当たり前で、恋愛結婚などとんでもないという時代でした。ですから私は、誰か、いい縁談(えんだん)を持ってきてくれないかしらと、ひたすら願っているだけでした」とある。
間に立ったのは叔父(布枝の母の弟)で、その連れ合いの実家が武良家の遠縁だった。
見合いから結婚式までわずか5日というスピード婚だった。式場は米子の灘町後藤のお屋敷だった。なお、見合いから結婚式の間、水木は母親の厳命で、左手に義手をつけていた。だが、本人は義手が大嫌いだったため、それ以降、義手をつけることはなかった。結婚後身体障がいの不自由さについて愚痴を言うことなく、あらゆることを人の手を借りず行おうとする態度に布枝は感嘆した。
布枝は上京して、水木のあまりの貧乏生活に驚く。水木は母親が上京してくるのを恐れて自分の家族にさえ貧しさを隠していたため、見合いの際は、「東京でそれなりの暮らし」と偽っていた。だが、布枝は水木の非常に熱心な仕事ぶりを見るうち、次第に尊敬の念が湧き、器用だったため漫画のアシスタント役もこなした(『墓場鬼太郎』など)。また、夫婦で「連合艦隊の再現」を目指して「軍艦の模型作り」を楽しんだりもした。





昭和36年に結婚されたわけですから、
お二人の新婚の頃の時代背景は、まあ~私の子どもの頃と重なります。
(余談ですが、私の両親は見合いではなく恋愛結婚です。)
今のように便利な世の中ではありませんでしたが、
もはや、戦後ではない。と、言われてた時代です。
にもかかわらず、
水木夫妻、
草やパンの耳を食べねばならぬほど、貧困だった!
びっくりです。
驚いてしまいました。


貧困を支えた布枝夫人の苦労。
苦しい時は笑おう、戦時下じゃあるまいし~命をとられることはない。と、
笑って過ごされていた水木しげるさん。

頭が下がります。





こちらが、水木しげる夫妻。結婚式の一枚です。

ネット画像


で、これは、映画の1シーン。

ネット画像


水木しげるさんが宮藤官九郎さん、布枝夫人を吹石一恵さんです。


ちなみに、テレビの配役は、向井理さんと松下奈緒さん。

ネット画像


ねえ~こうしてくらべてみると
宮藤官九郎さんは、水木さんにそっくり!ですよね。





水木しげるさんの出身地は鳥取県境港市、布枝夫人の出身地島根県安来市。
島根の人々は、神が見え
鳥取の人々は、妖怪が見える
と、おっしゃってました。


ネット画像


映画には、いたるところに、妖怪が登場しますよ。
これは、福岡県人でも、確かに~見えました。



映画)ゲゲゲの女房~12月23日鑑賞

この『ゲゲゲの女房』が、今年最後の映画~見納めと~なります。









コメント (18)
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