青龍神界鏡

次はまた首相してみんかお前。
https://www.youtube.com/watch?v=CsI7GSs4d1s

三十一 和風居間の小型模型を天井から照らす巨大な電灯

1631年09月19日 18時26分31秒 | 投稿


口は、難波で上が京。
京、公家、鴨川の東側で、よろづ分析屋。
結果の報告法は、顔。
顔の立たしめに要するは、品質業界新聞に載る百本程度の品質指標や指標現物の分析、と知る。
公家の真ん中の男女たるや、がこの顔の上半分。
遂に出会った。
神社間の連絡役で、精神関連指標のみを分析する人生にとって、“明が長く侮辱し続けし、京の晰学理性の徒”がこれ。
この顔の、正座執筆に、阿片声返礼。
怒りの中央文がこれ。

脳露出数、十七、中京区因幡町、及び上京区堀川下長者町(しもちょうじゃまち)西入リ、北小大門町(きたこだいもんちょう)界隈につき。
隧道掘削の手握り鉋かんな、が視野と握り手にまとわりつく利便性快楽が首都最精鋭官吏の眺望視神経血流なるつまりは“暗悶”、無能坊主の読経音。
上洛後三週間以内の異聞沙汰記憶は鹿威し傍の石升のせせらぎ呑みが如くの忘却、石升沈み事への時の無視が相応。
江戸時代初期の京、記憶のみで記録していた電話番の務め帳簿、は以上。

“鳳(おおとり)”で、鳳一輝(いっき)が伊達(だて)の兄貴と共に十河組(そごうぐみ)組員を日本刀でたたっ斬る前の目付きは前世の俺の十七のそれなんだな。見てからしびれたとぞ。そんな状況に良くなっとったんじゃ。


ドライアイスは、清の泉州の東、新街の地下の無人の工場へ、月の異空間の工場と月のある管区から転送され、そこからは無人操舵の潜水艦に自動走行で積載され、西宮にしのみや、沿岸の港へ。
厚い白めの布で常に覆われていた港の岸へ、潜水艦が腕を伸ばし、積載物を搬出していく。
籠は、鈍重さ、意図的露呈なる、赤いサビ的模様、意図的まといなる鉄、軽銀アルミ、真鍮製。
月人の素性、面会事実、足跡、目的たる“相互友和の機を見付けての、相互友和語満載辞書の編纂”を熟知している公家が配下を港に遣わす。
“外貨だろう”。
移民との予定を難波は、毎度、入念に、慶びと共に探っており、月人もそれとの完全真意を察知しつつ、受け答えしていたが、常に答えは一様だった。
“違います”。
月人の動きは日本の思春期初期を察知しての、全く情の無い、機械出力であった判断に基づいていた。
“関節痛を霧散する”、“未来長期にわたるやもしれぬ、故の乏しい社会格差の根を早期に根絶する”と、彼らの言葉から漏れる。

しかしところで、月人は近畿方々に移民しとる。
志茂田景樹や坂本龍一らは、音楽方面に多く居着くに至っている。
下、末端動態、勢い、ノリ、ついで判断を人は正式識別せず。
月と日本の近畿、そして明、清全域に関しては月人の意思に関しては言及は終わり、締め。
追ったとして、キリがない。

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