ニャーンクニャーンカルプファースクプルフクースク星人が生物兵器、象兎の創生に至った背景には、彼らの肉体に由来する遺伝病的衝動が存在していました。
肉体の先を辿ると、彼らが降臨してきた人間の根源空間で魂を開放していた、つまり意識総体の本性を曝け出していた頃に抱擁するに至った霊的波動群に行き当たります。
それは“卑怯さが巧緻さを極めたならば、その程度へ向けて次々と学理的に挑んでくる公正さを卑怯で、卑怯に調伏したとして他者がその姿を指弾する可能性は、卑怯さが齎す甘美な罠の湯に漬かる愚民がはみ出ていた鼻毛の毛根を吟味する姿への羞恥感発生の可能性と同値なのである。”
という意味を発揮する周波数帯にありました。
彼らはこう憤慨します。
“何故愚か者達はこうも大喰らいなのかという学理的追求が、愚かさの程度と大喰らいの振る舞いに対し学理的結論を与える際は彼らへ相互参照的な鏡を見せる。
何も進展は無いのだ。
一体何なのだ。
分からないのだ。
死ねば良いのだ。
私達の衝動が満たされないのだ。
それは、図書館で騒ぐ低学歴人種がこの学理的追求の不毛さについて、彼らが精一杯発揮し得る学理的誠実さ、死を以ってして学びを進める事がまだ無いという彼らにとっての人間免許停止要件への未措置状態へ分析さる学理上の不満に由来する。”
ニャ星人は他星を併呑(へいどん)して拡充した複数人種の同胞を利用し、百万年の長きにわたり優生学的思想に基づいた優秀人種の創生に向けて社会各層に罠を張り巡らしてきました。
ニャ星の主権意思の形成人種は時代毎に七種の間で更新され、事件に関わった人種はニャ星の政治的最下層に分類される異空間で居住しています。
彼らに一切の仕事は無く、年中冗談の鋭さを追求する日々です。
現在、彼らの意識の進化にとって重要なのは笑徳のようです。
彼らはある日気付きに至ります。
“私達が修羅の文明の中で不当に喘いでいるのは、ある事の実現に至らないからだ。
宇宙各地への優しさの効率的な提供だ。
これは受講者にとっては効率的、時に非効率的と見えながらも、あらゆる文明の基幹宗教の荒らぶる祭神、修羅への崇敬を無視しつつの放胆な日々に芯の無い笑みをこぼすのみの長寿文明の葦草(あしくさ)がいずれ与える評価とは“最も効率的”となる、小学校への円形のこぎり飛び出し型跳び箱の寄贈に始まる。
股を割いて学びを突然に感得していく児童文明は、いずれ自らの意思で優しさの提供の効率性の向上に協力していく。
それは、幼稚園文明への後天性免疫不全疾病(しっぺい)発症病原菌塗布型避妊具の装着強制である。
こうして胎児文明は外界世界なる男性器の強姦の残虐さを口淫するのだ。
涙を知るのだ。
そして優しさを知るのだ。
提供されていたのは優しさを知る為の機会だったのだ。
能動性の発露状態たる優しさとは、人間の受動性を脱色する残虐さを経ねば学べぬのだ。
“優しさを伝えてやる”という意味深な外装表示では残虐な郵送内容物はまだ判別出来ない。
外装表示とは異なる郵送物、残虐さへの自らの理解を外装とせねば、手に入れられぬ郵送物が優しさである。
優しさとは他者への能動性を根源的遺伝子としている点から、これを伝える為には郵送内容物が残虐さとなる理由がある。
優しさの根源たる能動性の授与を宣伝するのなら、一切の受動性の着色可能性を排除する必要があるのだ。
残虐さとは人間を呵責容赦無く能動的に追い込む磔刑を存在意義としている。
学理的審議を経た定説では、優しさとの異名同神説は、残虐さの“鉄の処女の棺”へ攻略の進入を試みる能動性に当てはまる。
優しさの混ざる内容物で、ほんの僅かでも受動性の着色可能性を与えてしまうと、能動性の獲得機会が完全に挫滅してしまうのだ。
優しさの混ざる内容物が許す“これはああではないか”という憶測とは、根拠の無い期待であり、男性器で例えられる峻厳な外界世界の挿入に怯える子宮に渦巻く、いつぞやの出産に対し無勉強の怠惰を舐め続ける胎児なのである。
根拠の無い期待とは、外界世界の自己中心的律動に屈するのが定めなのである。
この期待が、外界世界と同一細胞たる能動性の獲得機会に混入するとなると、娼婦の足が洗礼の水面を汚染するも同義である。
伝道者が伝う教義全てを撹乱する、根本的な二律背反なのである。
故に、郵送内容物は妥協無き残虐さとなる。
内容物とは異なる詭弁的外装表示の必要は、愚かな残虐さを招来する人間の受動性と、完全駆動状態に於いては優しさを発揮する能動性を身体生理上の理由から永遠に弁別出来ぬ人間への命題を黒板にしたためた結果である。
優しさを知らぬ残虐な人間は、欲望に受動的なまま外装表示に惹かれ箱を開け、学びを進めていく。
残虐さを知らぬまま優しさを知る人間は存在しない。
必ずその到達段階までに残虐な試練を経て受動性を脱色されているのだ。
蒙昧な外装表示と常に相反する、現実の峻厳な様相を学習済みである、優しさを知る人間は箱を開けず、欲望に受動的な愚か者に試練として譲り渡すのだ。
また外装表示を郵送内容物通り“残虐さ”とすると、望ましい受領者の学びが進まない。
優しさを知る人間は、明朗性を謳っていると感じる外装表示を見て残虐なものを何故送って来るのかと訝(いぶか)しがり箱を開けない、もしくは優しさの背後の能動性故、既に経験を済ませている残虐さを包む中身を無意味に感得してしまう可能性がある。
残虐な人間となると欲望への受動性に律動される結果、好奇心で箱を開ける際、僅かながら能動性が漏出する為、大勢がざわついた着席の中、能動性の講義が進行していく。
故に、受動性に支配される者へ接吻を誘う、残虐な歯を覆う唇には残虐な内容物と相反する、優しい、蒙昧な外装表示が適切な口紅となる。
荷解きの後の、内容物の血塗れながらの組み立て手続きの後に獲得した能動性は真の優しさをいずれ与える。
他者への振る舞いに於ける、最上価値とは優しさを学ばせる事にあると到達するのだ。
これが、優しさがいずれ至る純粋化、真の優しさへの到達段階である。
他者への郵送物の外装表示は再び単に“優しさを伝えてやる”、内容物は残虐さとなる。
優しさの効率的な提供はこうして実現されていく。
あらゆる搾取への哲学的洗練を経ていく、真の優しさを手に入れた文明人種は、食事という反復的且つ始原的残虐さを外装表示としつつ真の優しさを内包するとする自身の魂へ必ず思考という男性器の挿入を試みる。
その反復快楽は意識の純化、意志存在への進化の機会を齎す。”
ところで、彼らが至った優しさの効率的な提供に関する構想とは別の郵送物の単なる外装表示でした。
ニャ星内の非融和的民族、他星の異星人に対する方便だったのです。
“ある高尚な雰囲気を匂わせる哲理を与えられた文明星が、倫理的、不可避的に直面する逡巡を自己否定するが如く自ら貫通する際の疼痛が初交未経験者の強姦被害時の苦痛と相似形を描きつつ、被害者の逃走時の悲鳴が男性器として、子宮に眠るのみの宇宙の胎児文明を宇宙で次々と妊娠させていく社会学的臨床例を学ぶ機会がある。
この機会は強姦ではない。
そしてこの学習が警鐘を鳴らすのは、偶然の挿入を受けつつ快楽として祝福する、淫乱に開脚したままの貞操である。
我らは努力している。
宇宙文明の真の貞操の宣教活動は続く。”
この演説への同意投票への機会を郵送物とする、外装表示が真の優しさへの到達機会です。
優しさを知る文明はこの外装表示の郵送物を受け取り、能動性が呼ぶ警戒感から他文明に譲渡するもしくは、能動的に学びを進め、宇宙の議事堂のニャ星人の議席増加に投票する事になります。
残虐な文明が郵送物を受け取っても、理解に要される能動性が不足しており困惑が起きるのみです。
宇宙支配はニャ星人にとっては通過点であり、真の目的は彼ら全ての神霊化、霊的世界の支配です。
ニャ星人は残虐な郵送物を送りつけた文明星の学びについては基本的に経過観察は行いません。
彼らにとって重要なのは、本物の通関手続きの記録です。
残虐さの程度、規模の実態的数値を伴った記録を、彼らの内在的哲理は欲していました。
ニャ星人はアメリカへの生物兵器の移送事実のみを以ってして多大な利益を手に入れています。
登用した象兎の巨大さは、ニャ星人の対異星外交履歴に於いて観察してきたある不手際の蓄積の程度を予定通り数学的に中和し、発生する数式は蓄積の観察者を素体とした生物兵器を創生します。
その際の同胞に対する残虐さ、生きたままの肉体を家族の眼前で死肉人にしていく工程は恐怖を以ってして、その観察者へ先の数式を哲学的に中和するやもしれぬ文学的物語の案出を非明示的に強要します。
ところで案出が成功、失敗いずれを経ようともその観察者は必ず、先の工程を上回る残虐さを感得する事になります。
それは象兎による食害の全工程です。
これは肉体と精神の苦痛耐性容量を最大化する薬物の投与後の、象兎の小腸終端でのある哲学理解への向けた到達過程を意味します。
到達がなれば遠隔処刑装置による死が与えられます。
ならなければ最長六年間、象兎の直腸で生き続ける事になります。
酸素は異空間経由で与えられ続けます。
このような残虐な工程を順次起動していく象兎の巨大さは、何らかの言い掛かりを経て同胞、他星人へ向けて疾走して行きます。
残虐の定義、残虐を超克する残虐さ、残虐の超克法、残虐の定義の更新法の残虐な追求といった、残虐にまつわる大辞書の編纂が象兎が轍に残すフンと成り果てた同胞の傍らで可能となるのです。
“朕(ちん)は民の蒙昧な繰り言に囲まれただ座すを是としない。
物事の要諦とは座すのみを以ってして蒙昧な繰り言の中に座す物事の要諦をただ座さしめる事無く、自らの意思で、何故周囲に繰り言が湧いているのか真相を語らしめる事だ。
そして真相を語り出す瞬間を見抜く事無く、朕が真相の自らの意思の謁見を受けるものとす。
それを可能にせしめるのは、蒙昧な繰り言の起きている中のある瞬間にこの物事の要諦を語る事だ。
その瞬間とは以下を歌えば生まれる。
みんな賑やかに騒いでいるようだが、ところでどうして物事の要諦に到達しようとしないのか。”
アメリカの麻薬産業の為替市場の一介の仕手は盲目のまま裕仁を知略の官房に座さしめた結果、取引の相手はニャ星人となりました。
仕手の語り口調はまずは欧州地下権力組織配下の無機的な機能組織に伝わり、二進法の暗号に変換され、紙媒体に印刷された後に異星人に郵送されます。
次に別の異星人に郵送された後、月面上空に停泊していた不可視化技術で覆われた宇宙船に直接届けられます。
その宇宙船で電子化処理された暗号の情報は、無数の星籍の異星人が掲示板として閲覧する網羅的端末に投入されます。
アメリカがニャ星人との“盲目の男女交際(blind date)”に至った経緯の要諦とは裕仁です。
ニャ星との交際へ向けてアメリカが道を通された免状は異世界由来の装束にありました。
ニャ星が契約上許容していた、一定期間以内の関係に於いて倫理資源摩耗期待値推移を統計的有意に描かない倫理資源を伝える二進法の発信者であるアメリカはニャ星と同属性象限に分類されました。
掲示板上で自動的に起きた両者の合意は、この件に関しては卑怯さが理由を明かすのみです。
契約によるニャ星の利益とは生物兵器の派遣事実の記録のみです。
アメリカの利益とは生物兵器の輸入です。
生物兵器の放牧場所となった地下構造の構築を起こしたのはレーガンの隠喩でしたが、これに関してはその著作権の二割を欧州の王侯貴族、八割を日本の皇室としています。
そしてレーガンが用いた隠喩を輸出した責任の十割は裕仁にありました。
ニャ星の意思の中枢を構成する宗教職権群が祭壇の前で焚き続ける炎の煙は、自星にとって障害となる霊的波動の霧散を願っていました。
生物兵器による人間への食害が勧請する神霊の大結集、それによる神霊行政の疲弊はニャ星人にとっては、策謀の概括的利益の明らかな一項目だったのです。
霊的世界に参入しており且つニャ星人系統の支配欲を放つ異星人はこの宇宙の八分の星籍に存在します。
彼ら全てを束ねているのがファッスァゥ星人のある曼荼羅で、霊力励起真言は“スァウタウン”です。
現実に於いて発揮する法力は“幼児が見せる如何なる苦悩も仏が手の上で愛しむべき児戯と新入社員を祝福する事による雅量の獲得、新入社員の出世欲を全て吸った後に至る己の出世、更には周囲のあらゆる曼荼羅を新入社員として祝福しつつの宇宙開闢点、金剛界曼荼羅中央への己の出世”です。
真言“スァウタウン”の霊力を吸う真言は“クアンスインタン”であり、その霊力を吸う究極秘真言があり、これを知る仏は僅か一体のみですが、私が既に霊力をパイセ済みです。
それにより生まれる霊力の使用先はファッスァゥ星人を含めたニャ星人系統の連中の更なるファッスァゥ化、つまり私の曼荼羅化です。
出世をすれば私の眷属神への道が開けます。
ファッスァゥ星人を除き、ニャ系統がこの宇宙に降臨してきた理由は創造主の摂理破壊行為に尽きます。
この宇宙では未来永劫湧いてくる連中です。
幾ら宇宙を補修したところで降臨を防ぐ事は出来ません。
ニャ星人は宇宙のある一味の一派でその統括星がファッスァゥ星です。
この連中の背後は存在しません。
背後の存在を許さないからです。
そして内在する強欲さに常に支配されているが故、私にとっては存在が笑徳です。
Gravity:
星の重力は人間を思いやる事が出来ます。
その星の人間が発揮した気高さが宇宙の異星人連合体に伝わり、隕石軌道を変え、異星人の襲来を抑止する事で星を救ったならば、人間の意識への介入力を自動的に増し、重力は人間の意識に作用するようになるのです。
作用される人間の意識部分は、法律、良心、経済活動の駆動に対し地上、地下全ての人間が非意図的に常時発揮している期待で、重力はこの発生を安定的にします。
その結果、人間の人生推移、星の地磁気が安定します。