青龍神界鏡

次はまた首相してみんかお前。
https://www.youtube.com/watch?v=CsI7GSs4d1s

上京堀川うえいあはね北小大門町奥入リ朧月見夜百五十一

1583年06月04日 00時00分00秒 | 投稿


このタレに、

卵と画像の二倍のカニカマが乗るが、カイワレは無し。
下に米は、埋まっておらず。
量はこの画像の一・三倍程度。

台形が、深く埋まるレンゲ、難波製高級品でお食べ下さい。
カニは石川産、高級なる養殖品で卵、その他全ては難波産高級品。
レンゲの内、大きな台形が、口に合わず。
これでは、食べにくし。
ねおは想定済み。
カニの甘味を、このレンゲで、毎度、カニが如く同じ仕草で、追いかけようとの、人としては、ご理性は預かり知らぬ、虚ろなひと時を、お過ごし中との俯瞰上指摘をお受けになるやもしれぬ方は、すべからく、お舌は、台形の大、小を、ご弁別せず続きの筈。
前座を務めし料理群が御客に強いしは、とどのつまりは、思考負荷、これとの正体と、無弁別にあるお舌のご相関が今、座す上座の椅子の両肩同士を繋ぐ紋様は明代より伝わる麒麟。
人を統べたがる政治理念との、日常作務よりは高尚との皇帝衣装まといを喧伝するかに見え、これに寄る人の、日常作務付随、ささいな気付き、功利上の願いを、すぐさま、ついばみ、太りいく・・・・・・河北省領域を寝床として棲息す・・・・・・理性者云わざるが相応なる・・・・・・気付きをほふる、獣が例えばこれ。
思考負荷にお気付きでありながら、お舌には、分別は無し。
これ、帝王の権勢を、不必要に、怒りへ仕向けるが如く振る舞う、権力構造内の問い質し習慣。
お前は、今、我の装束の糸ほつれを疑う素振りを仄めかせし所以に、頭が追われているようだが、かくなる口語発声の時の重みに、返礼を行えるのか。
お前、今、装束、を縫う糸の完璧さ、これらを、口語発声にて簡易紹介、否、楷書書面、明晰発話による答弁作法に、すぐさま、処せるであろうか。
文明を、狂気に、至らしめゆくのみである習慣がこれ。
権力構造を、内部から、怒りに、仕向けゆくのみが功利の大素性。
抵抗営為の相は常に、焼け石に水。

ねおで開催さる、触り余へ、総務が参加する納入品目評価会議に顔を連ねる、中京の食材卸業者連盟の顧問の喝破は長く続く。
そこにある時、つい、顔を出してしまった、ねおの、料理長は、腕を組んでの思案に耽り続ける。
あなたは、先程より、何を、のたまい続ける口の内で、舌を、大踊りさせ続ける神楽舞台形象を気取るべしとの決意を、いつぞやかにお抱きか。
何を、故とし。
察知が、尖る。
涙だ。
この御仁は、拭われぬでありし、俯瞰上、大悲劇、非文学書架への蹴り飛ばされ事態を、遠方にて大弁舌中に在らせられる。
鑑み、との左脳連関功利を、必ず予定以上にはかどらせゆく語を巧妙に嘲笑する。
然らば、ここに馳せ参じゆくは、この御仁への、鑑み、ましめ程度である、何らかの機能。
当該機能を、当人に、鑑み、ましめず、に向けてどうにか成功せしは、・・・何であろうか・・・。
かような、左脳のほくそ笑みに尽くす功利について、今の我に操作性を与える語の、原版に、延引式金属加工を施すかに見え、すぐさま、真面目な講評を浴びせる。
次に、素朴な人間を装う思考工程が、疲弊を理由に浮かぶが、この舟に、身を委ねるべし。
すると、懸案である御仁が、懸案に至りし理由が、左脳連関功利上の不手際印象を、急いで弁明する必死顔の相にて、我が左脳に参じてくる也。

かような記憶の告白を、左脳を使役する時を、自在に選べし者とは、例えば、料理を以ってして、中京の食材卸業者連盟の顧問のご喝破、とやらに、真面目に仕え続けし、上座の椅子の両肩尖りを、御客の御舌は、舐め続けし、との俯瞰図を、構想可能。
舞妓の倭文やまとぶみ、演目、“すずろなり、何となく理由も無く、蝶状レンゲ握りを厭わずの女将、今は木屋町の橋を、五条大橋と見る牛若丸を気取りて、大立ち回りなるも弁慶は居らず、に気付きし時、口の中には太い上客の風呂敷内の菓子折りが”。
演目を観る者が、嘲笑よすがを、克明識別し続けるとして、そうであるならば、克明識別馬車群の間の蝶番ちょうつがい構造を、人は長く覚えられず、を真因に指定しゆく推移により、すべからく、自己の内に、被嘲笑へ妥当判定項目を、遮二無二、見出しゆく。
それが、人。
克明識別を、試みゆく営為を、雛壇最上の姫と、拝しいく、克明識別は帝なる殿との、勘違いを、いつぞやかに、諌めたがるが本性なる生き物。
倭文演目を、無数本数、我が左脳と、寝付かせゆくべし。

即ち、螺旋構造をまとっておらず、とにかく、かような二本の縄が、上下に、沈み、ぶつかり、離れ浮かびいく様に、演目と、左脳で、倭文、寝付かせゆくべし。
ぶつかりいき、離れいき、再び、それらが繰り返されいく。
始終、二本の間には、真に、倭やまと、なる、期待が成分である、伸縮性を有する棒が、交差部群の間に、無数本存在しておる。
物理とこれが運用される際の政治価値の二者を、親しく、見詰めるべし、の詳細推移が以上也。
倭文演目を無数本数、世より発見しゆく術とは、倭文演目、無数本数を観ての、我が厭がりが、廊下の跳ね板の下の壷に、発見法力を蓄えいく。
大勢の人間営為に言及していながら、この演目は、全く正直に、等号の右辺印象にて、算術的。
言及との、他者に介入的で、いやらしい、営為を、一切無咀嚼。
この、無咀嚼印象への、我が厭がりは、いずれ、いやらしく、世を平然往来す、または潜む倭文演目を発見しいく。

上海、難波と伝わりし、カニカマ天津飯テンシンハン、の名前は例えば、“とおおうあふん とうあふかいひい あはう”、難解構造なる権力宮殿の内にて、盆上の日常裁量の茶の量への、いと厳しき、察知法、空中を自動滑空群の間を縫い舞いし、二者なる頭抜け殿、味わい予定者と、こちらへの仕え予定者の婚姻の証が、異国にて平然と、頭抜けたご態度で、平らげしは、例えばかくなる美味しつらえ。
天津飯との名で伝わる料理は、過去より正統主張版、亜流版が多様に存在していたが、全ては上海由来だった。
料理者が料理に籠めし配剤とは裏腹に、客の感得は実に多様で、一傾向すら挙げられない。
ちなみに配剤は、“権力に憤慨中の御方とは、向こう長く、ご無縁であるように”だった。

上海人の感想は、“このレンゲは好かんし、喰いにくさ以上に、この料理は喰い飽きている”が専ら。
金星人は、“食べにくさと、先行料理で感じた苛立ちと窮屈感の混濁が、・・・香ばしさを伴う甘味による味覚、はしたない闘争状態で・・・卵が唱える容量搭載性で・・・口腔内を自分が奥へ押し流そうとする意欲への抑止力で・・・で、・・・で、・・・で、・・・路上喫食象限の境界線間際の検分意欲が・・・敗北宣言判定で、・・・何も云えなくなっていく感じがするわ・・・”が傾向だった。
“大勢の人間を、飼っている大勢の鳩のように、毎日自分の元に殺到させ、エサを与える振りをする事で、大勢の、人間に、大勢を成す、人間、と捉えられる立派な可能性を、水鉄砲を顔に当てまくり、教えている。
答弁台に立ち、自分の内心を、明け透けと、同学級の人間に公表するものではない、という事は大勢の廉恥心に賛同する営為である事を、着座、頭脳学習ではなく、答弁台での毎瞬を通じ、血流に溶かしいく、が立派な可能性の在り様。
呆れるわ・・・。
人は鳥ではないのに。”
月人。


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