想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

鬱の友がいて

2024-02-13 23:22:18 | Weblog
点滅社@tenmetssyaの好評新刊「鬱の本」を
まだ手にしていない。
編集の屋良さんは元気だったり、出なかったり、
で、なんとかどうにか生きていよう、と
呟いている

そして、私の数少ない友人で大事な人が
連絡してきた。
ぼくはいまうつ病ですと。

久々に届いた手紙を開いたら、いつもの
小さなリトグラフが入っていた。
ずっと待っていたからすごく喜んだ。
急に盛り上がっている自分が可笑しかった。
そして折り畳まれた薄い便箋を開いた。
近況が綴られていた。

ぼくはパソコンも開けない、
メールもできないです、とあった。

どう答えていいか、ずっと考えていて
すぐに返事が書けなかった。
遠いところの友、いつも近くに感じる友、
こんなとき、想うということが何のたしに
なるかわからないけれども
おもうことしかできずにいた。

とても若い頃、わたしを助けてくれた人だ。
助けるなんて思いもしないで助けてくれた。
一万円を借りて、返しに行くと笑った。
まさかあ、返すとは思わんかったー、
返してくれるとは思わんかったー、
と彼の姉さんと二人でわたしをからかう。
それがとても嬉しかった。
なんども冗談にしてその時のことを言う。
この人はマジメだよー、と先に言って、
そこにいる人がほおお、と私を見ると
あのね、とその話をするのだった。

それだけじゃない、ほかにも暗いわたしを
元気づけてくれたことが何度もあった。
年下の私を気さくに相手にして話してくれた。
明るくて、やさしくて、ねばり強かった。

その人がどうしていま鬱なのか。
2020年、彼の本を作る予定が流れ、
コロナ旋風で会えなくなった。
2021、同じ。2022、同じ。
2023、連絡取れず。
この頃、彼は立ちすくんでいたということ。
メールも見れなかったのはそういうこと。



手紙の最後のほうに、
でも個展のために準備している、とあった。
それが実現しますようにと祈っている。

返事を書けなかった間、鬱々としていた。
ああ、思うことができないというのは
こうしてなるのかと思ったりした。
抗って、ふつうに生活しようとした。
ふつうが遠くにいかないようにと自分を
引きあげようとしていた。
読みかけてすぐやめるから積ん読本が
テーブルに散らかっている。
買ったことを忘れてへーっと思ったりする。
人の書いた文を読むのが面倒だった。
人の思いに触れるから。

いつのまにか独り言を言うようになった。
自分を叱る、詰る、詰る、ハッパかける、
つもりなんだなあともうひとりの私が思う。
はーいと返事する。

そうこうしながら仕事をしつつ、
二月も半ばになった。

独り言が引っ込んできたので頭の中の
整理をしている。
自分のバカさを詰るのはやめよう。
そんなに言うてもなあ、と。
恥ずかしくなく生きるというのは
誰に対して恥ずかしいのか、
自己嫌悪はなぜ嫌悪するのか、
なにを許せないのか、
愚かなのはそもそもであるということだと
気づけばほかに何もない。
一番大事なことを忘れないのが大事。

明日また、と言えるのはありがたい。
友に、彼らにあの子に明日がありますように、と心から祈る。



















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