無風老人の日記

価値観が多様化し、自分の価値判断を見失った人たちへ
正しい判断や行動をするための「ものの見方・考え方」を身につけよう。

武士道精神(大和魂)

2016年12月02日 | Weblog
こうして投稿画面に向かうと、書きたいことが山ほど浮かんで来て、どれから書いて行こうか、と迷ってしまう。
白紙領収書・越後屋と悪代官を絵に描いたような甘利大臣&秘書のワイロ政治、年金支給減額(年14万円)、国会の形骸化=安倍政治の横暴、医療費の負担増、一生正社員になれない非正規社員の増大、日本国民が政府マスコミにより納得させられている「少子高齢化による社会保障費不足を補うための消費税率引き上げ」と「増税分は全て社会保障費に使います」の嘘、TPP、沖縄の基地、原発再稼働、等々、書き始めたら切りがない。

そこで、今日は一旦休憩して、タイトルの武士道精神(大和魂)について書いてみたい。

新渡戸稲造は西洋の人から「我々にはキリスト教という社会倫理(社会秩序・人の行動規範)がある。日本人の行動倫理(モラル)はどこにあるのか?」と問われ「武士道」を世界に発信した。(武士道精神が日本の社会規律・社会秩序のみなもと、としている)

武士道精神については私の日記の
武士道精神と愛国心①
武士道精神と愛国心②を参考にしてもらいたい。


新渡戸稲造はその著書の中で「武士道精神はサムライだけでなく、広く庶民にも浸透し『大和魂』・・・即ち日本人の魂となった。」としている。

(注)日本人の秩序感覚は「上からの武士道精神と下からの自然村的秩序原理」から成り立っているのだが、今日は、上(支配層)からの秩序原理にのみ絞って話して行く。というのは、水木しげる氏の戦記物漫画を見ていくと、やたら「大和魂」や「武士道精神」が出てくるからだ。

※大和魂(やまとだましい)を持ったものが人間で、あとは虫けらだ!(軍事訓練での訓示)

※「玉砕」は玉が美しく砕ける様に、名誉や忠義を重んじて死ぬことだが、この言葉は日本軍らしく全員死ぬまで戦って玉砕したアッツ島守備隊を国民に知らせる大本営発表の中で初めて使われている。(1943年5月29日)

「アッツ島守備隊は、敵主力部隊に対し最後の鉄槌を下し、皇軍の神髄(真髄)を発揮せんと決意し、全力を挙げて壮烈なる攻撃を敢行せり、爾後通信全く途絶、全員玉砕せるものと認む。」とし、玉砕は「大和魂」の発露として賞讃している。

この玉砕は大本営の意を受けた樋口北方軍司令官が命じたものだった。

その打電内容「・・・地区隊長以下凡百の手段を講じて、敵兵員の燼滅を図り、最後に至らば潔く玉砕し、帝国軍人精神の精華を発揮するの覚悟あらんことを望む」

この電文に対し、アッツ島守備隊長山崎大佐は「武士道に殉ずる」と返電してそれ以降通信が途絶えた。


さて、それでは、戦前・戦中と「靖国」同様、精神統合に使われたこの「大和魂」「武士道精神」はどの様にして出来上がったのか、を見て行こう。

それは、武士の台頭~戦国時代~江戸時代になって成立した「考え方」なのである。

この時代の武士は「主君への絶対忠誠」「ハレの舞台の戦場で手柄(武勲)を立てての立身出世」が生き方の全てであった。

しかし、江戸時代に入り、戦(いくさ)が無くなり、世の中が平和になると、武士の存在意義(主君に忠誠を誓い、戦って敵をやっつけ手柄を立て立身出世する)が無くなってしまった。

(参考文献)荻生徂徠は「政談」で「世の中が平和になり、世間無事となって人々(武士等)の気力が無くなり、何かするよりは、家をつぶさぬ方が良い、と思っている」(立身出世よりも「お家の安泰」を願っている)と書いている。

時代劇映画等ではよく大久保彦左衛門の武勇伝(手柄話・自慢話)が出てくるが、しばらくたつとそれはお家のご先祖様の手柄話となり、「武門の誉れ」等、それぞれの固定した身分に対するプライドと主君に忠誠を尽くすことへの責任感が出てくることとなった。

それまでの「武士」の主君への忠誠は「軍事的奉仕」であった。
では、江戸時代に入り戦(いくさ)がなくなって存在意味の無くなった「武士」に存在意味を付与したものは何だったのか?

それは、「身分が上の者が徳がある」という有徳者君主思想である。

武士は「人民は利を知って義を知らない。そういう人民を指導していくのだ。」と考え、「仁政安民」という儒教思想から、「主君がいい政治を行うように忠誠する」という考えが生じた。

この「仁政安民」の儒教思想が武士の存在意義を支え、寺小屋で読み書き算盤が教えられ、多くの藩校等の学問所が出来、教育が普及した。
当時10歳以上で読み書きの出来る国民は江戸等の都市部で男60%・女20%であった。

(参照文献)「日本幽囚記」1811年(文化8年)ゴロヴニン(ロシヤ帝国軍人)

「国民全体で見るならば、日本は世界で最も教育の進んでいる国である」


話が横道に逸れたが、この一連の「仁政安民」➡「主君への忠誠」➡「人民の指導」が武士の存在意義となった結果が教育の普及となったのだ。

こうして庶民にまで浸透していった「仁政安民」の武士道精神は、上の支配階級(指導者)側の思想である。

「国家の品格」の著者・藤原正彦氏は、軍国主義国家に利用された「忠君愛国」さえ抜けば、「武士道」は日本国のすばらしい思想である、としているが、武士の存在意義とされた「主君への忠誠」を除けば「武士道精神」は皆、儒教から取り入れられたものである。
繰り返す。時代劇で「子のたまわく・・・」と子供が教わっている場面をよく目にするが、武士の「忠君」を除けば武士道精神とは、ほとんど全てが儒教の教えなのだ。

(注)武士道精神(大和魂)の詳細は今回略します。上の私が書いた「武士道精神と愛国心①②」を参照してください。

結論が遅くなったが、いずれにせよ、この武士道精神は上の支配者層(士農工商の士=武士)の為政の心得であった。

それが「武士道」の著者、新渡戸稲造が、その著書の中で危惧していたことが現実になってしまったのだ。

新渡戸稲造「明治維新以降『封建制度』という母を失った『武士道』はどの様な形で残っていくのだろうか?

金儲け主義者、計算高い連中、軍隊組織、が己の都合のいいように利用するかもしれない。(←その通りとなった!)

武士道精神の『名誉』によって築かれた国家は、屁理屈で武装した政治家達の手にかかればたやすくひねり潰されてしまう。

『国があっての個人である。自分が国家の家来でないと国家に向かって言えるのか』として、軍国主義への道を進みかねない。(←その通りとなった!)

国家や権力者が「忠義」(愛国心)なる言葉を使うときほど危険なことはない。

「武士道」は(日本の)大きな遺産である。

人間の闘争本能の底には、最も貴くて美しい「愛する」という本能があるのだ。


そう、新渡戸稲造が危惧したように政治家達は「名誉など金にならない」とばかりに統治者倫理=武士道精神を踏みにじり既得権益を貪り、私が“上からの秩序感覚”といった「武士道」は政治家の手によって容易くひねり潰されて日本国から消え去ってしまったのです。
そして現在でもウヨクたちは国民に武士道精神・大和魂を強要してきているのです。

今日の話は佐藤誠三郎氏の日本政治史の講義内容と新渡戸稲造の「武士道」より引用した。

(ウィキベディアより)佐藤 誠三郎(さとう せいざぶろう、1932年7月8日 ‐ 1999年11月28日)は、日本の政治学者、東京大学名誉教授。正四位勲二等瑞宝章。大平正芳、中曽根康弘両政権時のブレーンを務め、保守派の論客として知られた。

今日言いたかったことは、上が大和魂だとか武士道精神とかを国民に押し付けてきたときには気を付けましょう、ということ。

また、前に書いた歌をそのままコピペして今日はおしまい。

♪教訓Ⅰ…作詞・作曲・歌:加川良

1.命は一つ 人生は一回
だから命を捨てないようにネ
慌てると ついフラフラと
「お国のためなの」といわれるとネ
・・・

4.「命を捨てて 男になれ」と
言われた時にはふるえましょうよネ
・・・

5.死んで神様と 言われるよりも
生きてバカだと言われましょうよネ
綺麗事並べられた時も
この命を捨てないようにネ
・・・



この歌詞の各番手に

青くなって 尻込みなさい
逃げなさい 隠れなさい


と入っている。

あなたは自衛隊に「駆付け警護」付与となった今でも、海外で「ミリタリー・ロー(軍事法)」と言われている「安保関連法」を「戦争法」と考えないのでしょうか?



上はぼうごなつこさんの四コマイラストから上の2マスだけ頂戴しました。(本当にごめんなさいね)

上と下とどちらが安倍自民党政権の本音だと思いますか?

今日はここまで、又ね。