無風老人の日記

価値観が多様化し、自分の価値判断を見失った人たちへ
正しい判断や行動をするための「ものの見方・考え方」を身につけよう。

国民統制の手法…その4

2009年10月19日 | Weblog
今朝(10/19)のテレビで「予算の概算要求が過去最高の95兆円規模に膨らみました。何故だ!どうしてだ!」との特集を組み、コメンテーターが「民主党がマニフェストに掲げた政策の予算を組み込んだからこうなった(膨大化した)わけで、『民主党が選挙で財源を考えない=財源無きバラマキ政策をマニフェストに掲げたせいです。」と確信を持った力強い口調で“解説”していた。

相変わらずの報道振りであるし、相変わらず「国民が知りたいこと」を報道しない。国民が今知りたいのは「財源をどうする」とか「鳩山首相の“故人”献金問題」ではない。

このように朝起きてテレビをつけると、どこも「政権交代を果たしたばかりの党の国民支援を取り崩そう」という意図の報道ばかりである。
今、日本国を支配してきた“悪徳ペンタゴン”に出来る策は「新政権と国民の遊離」だけであり、それが最善策でもある。

余談が先に来てしまったが、今日の日記に入ります。


2~3日前、ラジオでは政府(鳩山政権)が名称は忘れたが「雇用対策を検討する」組織を発足させ、「雇用対策が新政権が施行する政策の中で最も優先する最重要課題です。介護や環境分野での新規雇用需要を創設しても(年末までに等)すぐには効果を期待できない為、最も難しい問題でもあります。」とコメントしていた。

私は興味があったのでテレビで見ようと思ったが、「新政権が行なう政策の中で最も重要な政策」について報道しているテレビ局は無かった。
次の日の新聞にも載っていなかった。

新政権が真っ先にやらなければならない緊急課題・最重要政策と鳩山首相が言っている「雇用問題」について、その検討組織を作ったのに、テレビ・新聞が一言も報道しないのは、絶対におかしな事だ。

私が今働いている(長年堅実な経営をしてきた)工場を持つ製造会社では、30年以上その会社で構内作業を請けてもらっていた「協力会社」との契約を“断腸の思い”(社長談)で解除し、協力会社は解散、正社員は政府から支給される雇用支援金で「一時帰休・自宅待機」の状態が続いており、更にその会社の生産設備制作とメンテをやってもらっていた個人経営の機械屋さん(株式会社)と電気屋さん(有限会社)が共に“もうやっていけない”と廃業してしまった。

うちの会社と同じ業種に携わっている会社(業界)は全て政府の支援金を頼りに社員の自宅待機・一時帰休を実施している。
景気は上向く傾向を見せていない。銀行の貸し渋りも激しい。

ほとんど瞬時にしかやらない報道では、8月の完全失業率は5.5%と0.2ポイント良くなったとか、今年上半期(2009年1~6月)の資本金1000万円以上の企業の倒産件数が4年ぶりに前年同期比で減ったとか、経済指標が上向いたことになっているが、東京商工リサーチによると、今年上半期の「個人企業」の倒産件数は9.4%増。(私が話した個人企業上記3社は“倒産”ではない。従って廃業・解散等含めたら数字はもっと膨れ上がる。)

資本金100万円未満の「零細企業」にいたっては前期比62.5%増と激増しているのだ。

亀井大臣が「私の知っている経営者たちが倒産で3人も自殺している。」として経団連の御手洗会長に「日本で家族間の殺人が増えているのは大企業が日本型経営を捨てて、人間を人間として扱わなくなったからだ。」と言い、その責任を感じるべきだと詰め寄ったが、私のような底辺で働いている労働者からみると“よく言った”とエールを送りたくなる。

報道では、亀井金融担当相の「返済猶予法案」について、

①“少数党なのにでしゃばって”“亀井のパフォーマンスだ”

②“閣僚の不一致をさらけ出した”

③“モラルハザードが懸念される”

といった報道のオンパレードである。

テレビでは「不思議なのですが中小企業の中にも法案に反対の人もいるんですねえ」と女子アナがコメント。その反対理由もいわないで…。視聴者に『当事者の中小企業からも反対の声がある』と思わせればいいのである。

冗談じゃない、私の回り、業界を見渡しても「返済猶予法案」は中小零細企業・個人経営者にとって、死活問題であり、一刻千秋の思いで成立を待ち望んでい経営者・個人ばかりである。

テレビでは聞けない“まともな”評論家は次の様に言う。

「返済猶予法案の成立で2割程度の倒産が防げる」
「年末にかけ資金繰りが逼迫する中小・零細企業の倒産を防ぐことが出来れば、従業員の雇用を守ることになる。返済猶予は失業対策でもある」

総務省統計局の本年(2009年)8月の有効求人倍率は0.42%であり、日本国では働きたい人は“働く権利”が憲法で保障されているにも拘らず、働きたいと思っていてる人が100人いたら、その内58人が職にありつけない状況なのである。

この正社員になれる人が何年も2人に1人の状態が続いている状態の中で止むを得ず「人材派遣会社」に登録、生活をしている人達に対し(解雇され窮地に陥った人達に対し)、努力が足りない、自己責任だ、とする「日本の世相」…本当に♪右を向いても左を見ても…♪思いやりの無い嫌な世の中になったものだ。

8月の総務省統計局の数字をもう少し見ていこう。

○8月の就業者数(職にありつけている人)は6296万人と1年前に比べ109万人減少

・就業者数(働ける人)は19か月連続の減少。

・主な産業別就業者数は1年前に比べ「製造業」「労働者派遣業」等が減少。

 (主な産業別就業者数及び1年間の増減数)

   製造業・・・・・・・・・・ 1049万人と,112万人減少

   卸売業,小売業・・・ 1048万人と,15万人減少

○8月の完全失業者数は361万人と1年前に比べ89万人増加

・完全失業者数は10か月連続の増加。

 *非自発的な離職による者・・・・164万人と,74万人増加

   うち 定年又は雇用契約の満了・・・ 40万人と, 14万人増加

  *勤め先や事業の都合・・・・・・・ 124万人と,61万人増加
  *自発的な離職による者・・・・・・・ 111万人と,4万人増加
  *新たに収入が必要な者・・・・・・・ 45万人と, 11万人増加

・完全失業者のうち,2人以上の世帯における「世帯主」は89万人と,1年前に比べ29万人増加…以上、総務省統計局の「負の部分」を掲載

また、統計局資料の別の部分に、失業者数と自殺者数の推移のグラフが載っていて、それについて次のようなコメントが書いてあった。

月別の失業者数と自殺者数の推移を1996年1月から追ったグラフ(~2009年4月迄)をみると失業者数の増減と自殺者数の増減が強く関連していることが見て取れる。

少し長くなるが、村野瀬さんがブログに特集番組の記事を載せていたので、一例として引用しておく。

(引用開始)
今年(2009年)4月、福岡県北九州市門司区で39歳の男性が自室の布団の上で孤独死していた。

所持金はわずか9円。部屋に食べ物はなく、餓死とみられている。

調べていくうちに、助けを求める先も機会もあったことが分かった。が、それでも男性は声を上げなった。

男性は専門学校を卒業後、金融機関に正社員として就職したものの、過酷な勤務で体調をこわし退社。その後、アルバイトで生計を立てていた。

そこへさらに落とし穴が待っていた。不安定な経済状態を穴埋めするため消費者金融から150万円ほどを借金。月14万円の給料を返済にあてていたが間に合わず、多重債務の状態になった。
その消費者金融からアルバイト先に督促の電話が入るようになる。男性は同僚に迷惑がかかるからとアルバイトも辞め、以来、仕事がなくなった。

今年1月、男性は生まれて始めて市役所を訪れ、生活保護の相談をしている。
この時に借金ゼロと申告したため、市の担当者から「39歳、健康体なら仕事はあるハズ」と言われそのまま帰っている。

大阪には唯一の身内である兄が住んでいるが、相談しなかったようだ。

亡くなる10日前、親友の母親を訪ね、ある頼みごとをした。
「風をひいて何も食べていない。何か食べるものが欲しい」
その母親は、炊き込みご飯をパックに詰めて渡した。

そして10日後帰らぬ人に。
部屋には、一言「助けて」と書かれた手紙が置いてあったという
。…引用中断


これは<テレビウォッチ>で「SOS出さずに餓死 日本の30代に起きているコト」として組まれた特集番組らしい。

「命の瀬戸際にあるのに『助けて!!』と言わない孤立する30代男性が増えているという。
なかには孤独死の男性もいる。自ら孤立に追い込む若者たちの背景に何があるのか。芥川賞作家の平野啓一郎をゲストに迎え、追い詰められた若者の心の葛藤を取り上げた。」と始まったようだ。

(引用再開)
■「負け組」という言葉が…

8月の完全失業者は361万人。
有効求人倍率は過去最低で5人に2人分の仕事しかない。
このうち30代の失業者は、去年の同じ月に比べ31%増の80万人に達している。

キャスターの国谷裕子が「助けてといわず孤独死していく。なぜ声を出さずに抱え込んでしまうのか、胸が痛くなりますね」とコメント。それに対し下記のように解説している。


「2000年前半ぐらいから企業で言われていた『勝ち組』『負け組』が、個人まで言われるようになり、10年経ってその矛盾が深刻になってきていた。

決して自分のせいではないのに『テストの点数が悪いから』とか、『いい学校に行けなかったのは努力が足りなかったから』とか……。

『負け組』という言葉が自分の実感と重なってしまった。

『負け組』と思われたくないという自尊心の問題は大きいと思う」


そして解決の糸口として作家平野氏は次の様に言う。

「犯罪に巻き込まれたら110番するように行政の窓口を単純化して、こうした困窮の状態(餓死寸前)になったら必ずそこへ行くという窓口をつくるべきだ。それを利用することが当たり前になるような窓口を……」

村野瀬さんは、ブログで次の様に締めくくる。

SOSを出さずに餓死したこの人を「自己責任だ」とか「勇気がない」と責めることは簡単でしょう。しかし、そのような冷たい合唱からは何も生まれないことも確かです。

このように自分で自分を追い込むように仕向ける何かが現在の日本の社会の中にあるのではないか、私にはそう思えてなりません。


私はこう思います。

確かに、自殺者が毎年3万人超えという今の日本国の現状を作ったのは小泉・竹中ラインの新自由主義・市場原理主義により格差社会を作ってしまった事、社会保障を初年度3000億円、次年度より2200億円づつ切り捨てていった事によるが、それを抜きに「現在の日本の社会の中に、自分で自分を追いこまなければならない何か」を考えた時に浮かび上がるのがテレビ・ラジオ・新聞等の「マスメディア」である。

私はずっと「こんなテレビ報道ばかりだと格差社会で作り出された貧困層の人達が全て『自己責任』で切り捨てられてしまう」と思っていた。

テレビは「百年に一度」の危機に直面している国民の姿を少しも映し出さない。
最近のテレビ報道特集でも「中小企業経営者が“ヤミ金融”に手を出すケースが増えている」と始まったので私は銀行・消費者金融の貸し渋りで“ヤミ金融”にまで手を出さなければならなくなった中小企業経営者の実情を特集するのかと思ったら????!!!!!→→→なんと“ヤミ金融の実態”を特集しだしたのだ。

テレビ等マスメディアは徹底して日本国の景気・国民の現状(窮状)を映し出さない。
景気・雇用に対し鳩山首相が「最優先・最重要な課題」として取り上げていることを報道しない。国の隅々にまで伝達べきことなのに。

それが何をもたらすか。

マスメディアが報道しないことが、餓死寸前の困窮状態にいる人は“自分だけだ”と殻に閉じこもり、自殺したり、餓死したり、自暴自棄になって無差別殺人を行なったり、放火したりといった事態を引き起こす要因になっている。

毎日でも日本国の現状(こくみんの窮状)を報道し、政府が早急に取るといっている対策の経過を連日報道すれば『自分だけではない皆が困っているのだ』と孤立感に打ちひしがれる事も無くなり、政府の対策に一縷の“希望”を見出し『もう少し頑張ってみるか』といった気持も持てる。

私が以前勤めていた会社は数千万円の金利を銀行に毎月払っていた。(元本ではない)
その会社も不況の波にもまれ、銀行の貸し渋りにより年を越せるか分からないといった倒産の危機に直面している。
そこで「少数党がなにをいうか」とか「亀井氏のパフォーマンス」とか言った、批判の為に報道がなされている(国民に伝わってくる)法案に国民は希望を見出し『年を越せない、自殺するしかない』と悲観していた国民に『もう少し頑張ってみよう』という気にさせる。

これが報道の力である。

『政府はこういう形で国民に手を差し伸べようとしている。もうしばらく我慢してくれ』といった報道は全くなしで、やれ「二車線を四車線にする工事が凍結された」とそれに反対の自治体を映し、やれ「八ツ場ダム」だ、「無償給油」だ、「アフガン支援をどうする」だ、「鳩山“故人献金”」だ、「郵政」だ、「閣僚の亀裂」だ、「新型インフルエンザ」だ、「羽田ハブ化」だ、「財源は?」だ、「赤字国債発行?」だ、といった報道で満たしているため、困窮している(介護している)国民は自分は(自分達は)見捨てられている、と感じ、寝たきりの老母を殺し自分も駆鼠剤を飲んで死のうとする痛ましい事件が発生してしまうのだ。

上記裁判で執行猶予がついた判決の後、被告に「自分ひとりで考えないで、もっと人に相談するように」と言ったように報道されたが、私はこの“意見”を聞いて違和感を覚えた。

話があちらこちらに飛びそうなので、今日の結論を言っておくと…。

私は「家族間の殺人が増えているのは、大企業の責任」と亀井大臣の言った言葉を借りれば「日本で自殺者が増えているのは、大マスコミの責任」といいたい。

マスメディアが「国民を向いた、国民の為の政治をする」と言って政権交代を果たした政府の最重要政策を報道しない、といった『国民を向かない』報道姿勢のせいで日本国に悲観し、将来に希望が持てず、見捨てられていると絶望し自殺する人が増えているのだ。

最近とみに新政権批判報道が増えている。見境なし、といったあからさまな批判姿勢がNHK始め全てのテレビ番組で見受けられる。
私の日記が最近はマスメディア批判に終始するようになってしまったが、毎日テレビを見ていると“ペケ報道番組”ばかりでついつい書いてしまうこの頃である。

今日はここまで、またね。