そのまま続きます。
報道に対する科学的考察
真実を探究するのは、科学の任務である。
だから、嘘と誠、間違った情報と真実とを区別するには、科学が真理を探究するのと同じようなしかたで、テレビ・新聞を通じて与えられる報道を、冷静に考察しなければならない。
乱れ飛ぶ情報を科学的に考察して、その中から真実を見つけ出す習慣をつけなければならない。
一、科学的考察をするに当たって、まず心かけなければならないのは、先入観念を取り除くということである。
われわれは、長い間の経験や小さい時から教えられ、言い聞かされたことや、最初に感心して読んだ本や、その他いろいろな原因によって、ある一つの考え方に慣らされ、何ごとをもまずその立場から判断しようとするくせがついている。それは、よいことである場合もある。しかし、まちがいであることもある。そういう先入観念を反省しないで物ごとを考えて行くことは、とんでもないかたよった判断にとらわれてしまうもとになる。昔の人は、風の神が風をおこし、地下のなまずがあばれると地震になると思っていた。そういう迷信や先入観念を取り除くことが、科学の発達する第一歩であった。
近ごろでも、日本人は、苦しい戦争の時には「神風」が吹くと信じて、大本営の発表ならばほんとうだと思いこんでいた。
そういう先入観念ぐらい恐ろしいものはない。
政治上の判断からそのような先入観念を除き去ることは、科学的考察の第一歩である。
二、次に大切なのは、情報がどういうところから出ているかを知ることである。
見たり、読んだり、聞いたりしたことを、そのまま信じこむことは、ただ単におろかなことであるばかりでなく、また非常に危険である。
だから、いつも自分自身に次のようなことを質問してみるがよい。
すなわち、誰がそれを書き、それを言ったか。
それはどんな連中だろうか。
かれらにはそういうことを言う資格があるのか。
どこで、どうしてその情報を得たか。
かれらは先入観念を持ってはいないか。
ほんとうに公平無私な人たちか。
あるいは、まことしやかなその発表の実に、何か利己的な動機が隠されてはいないか。
こういった質問を自分自身でやってみることは、確かに科学的考察の役に立つであろう。
三、テレビを見るとき、またラジオを聴くとき、新聞や雑誌などを読む時に、次のような点に注意する。
イ、社説を読んで、その新聞や雑誌のだいたいの傾向、たとえば、保守か、急進かをできるだけ早くつかむこと。
ロ、それがわかったならば、それとは反対の立場の刊行物も読んで、どちらの言っていることが正しいかを判断すること。
ハ、低級な記事をかかげたり、異常な興味をそそるような書き方をしたり、ことさらに人を中傷したりしているかどうかを見ること。
二、論説や記事の見出しと、そこに書かれている内容とを比べてみること。
記事の内容にはだいたいほんとうのことが書いてあっても、それにふさわしくない標題を大きくかかげ、読者にまるで違った印象を与えようとすることがあるから、標題を見ただけで早合点してはいけない。
ホ、テレビや新聞の経営者がどんな人たちか、その背後にどんな後援者がいるかに注意すること。
政府の権力に迎合する新聞を御用新聞というが、政府でなく金権階級におもねるような新聞も、御用新聞であることに変わりはない。
四、毎日のテレビ・新聞・ラジオは国際問題でにぎわっている。
今日では、国の内部の政治は国際問題と切り離すことのできない関係があるから、国際事情には絶えず気をつけて、その動きを正しく理解することが必要である。
戦争前の日本国民は、世界中が日本のやることをどう見ているかを少しも考えずに、ひとりよがりの優越感にひたっていた。
これからも、日本が国際関係の中でどういう立場におかれているかを、絶えずしっかりと頭に入れて、その上で国内の問題を考えて行かなければならない。
国際間の宣伝は、国内におけるよりももっと激しく、もっとじょうずに行われるから、いろいろなことを主張し、論争している国々の、ほんとうの目的を察知するように努めなければならない。
特に、言論や出版が政府の手で厳重に統制されている国に対しては、そういう注意が大切である。
五、世の中の問題は複雑である。問題の一つ面だけを取り上げて、それで議論をすることは、きわめて危険である。
だから、ある主張をする者に対しては、問題の他の反面についてどう思うかを聞いてみるがよい。
情報を読み、かつ聞くだけてなく、逆にこちらからもいろいろと疑問をいだいて、それを問いただす機会を持たなければならない。
それには、討論会などを盛んに開くことが有益である。学校などでも、クラスごとに時事問題についての討論会を行うがよい。
研究グループを作る時には、反対の考えの人々をも仲間に入れなければならない。
それは、科学者の行う実験のようなものである。
いろいろな場合をためしてみて、いろいろな人の研究の結果を聞くことによって、誤りはだんだんと取り除かれ、共通の一つの真実が見いだされる。
そういうふうにして、物ごとを科学的に考察する習慣をつけておけば、それが民主主義の社会で責任のある行動をする場合に、どんなに役に立つかしれない。
要するに、有権者のひとりひとりが賢明にならなければ、民主主義はうまく行かない。
国民が賢明で、物ごとを科学的に考えるようになれば、嘘のプロパガンダ(情報操作・世論誘導)はたちまち見破られてしまうから、だれも無責任なことを言いふらすことはできなくなる。
高い知性と、真実を愛する心と、発見された真実を守ろうとする意志と、正しい方針を責任をもって貫く実行力と、そういう人々の間のお互の尊敬と、協力と、……りっぱな民主国家を建設する原動力はそこにある。
そこにだけあって、それ以外にはない。…以上で、文部省の難しい教科書の授業を終わります。
テレビがまだ無い時代の書物なので、至る所に「テレビ」と「マスメディア」を入れた、大臣の視察のところは「自転車を使わずに、『馬』で村を回る」と書いてあった。
でも、今に通じるものがあると思わないですか?
例えば、
内容を理解しながら書いていたので頭が疲れてしまった。今日はここまで、またね。
といったものの、最後に今日の読売新聞社説を載せておく。自分で教科書のように科学的考察をして真実を見つけ出してほしい。
例えば、鳩山論文の全文を読んだり、本当にアメリカで「波紋が広がっている」のか調べたり、アメリカは日本が何でも言うことを聞く従属国であったほうが良いに決まっているワイな、とかいった科学的考察をして見てくださいね。
鳩山対米外交 信頼構築へ言動が問われる(9月4日付・読売社説)
日米の信頼関係を築くには「言葉」だけでなく「行動」が肝心だ。
民主党の鳩山代表がオバマ米大統領との電話会談で「日米同盟が基軸」との意向を表明し、未来志向の関係を築くことで一致した。ジョン・ルース駐日大使との会談でも、日米関係の強化を確認した。
民主党の衆院選勝利後、早々の大統領からの電話や大使の表敬訪問は、米政府が日本を重視すると同時に、今後の日米関係を心配しているため、と見るべきだろう。
というのも、米紙に最近掲載された鳩山代表の論文が「反米的だ」などと米側に受け止められ、波紋を広げているからだ。
論文には、「日本は米国主導の市場原理主義に翻弄(ほんろう)され続け、人間の尊厳が失われた」「米国の政治的、経済的行き過ぎは抑制したい」といった表現がある。
鳩山代表は「反米的な考え方を示したものでない」と説明する。
だが、論文が米国批判を含み、結果的に「反米的」との印象を与えた事実は否定できない。
米側の反応の背景には、インド洋での海上自衛隊の給油活動への反対や、在日米軍再編の見直しなど、従来の民主党の主張に対する不信感の蓄積もあるだろう。
鳩山代表は、もはや単なる野党党首でなく、次期首相の立場だ。
その発言の重みを自覚し、行動することが求められる。
野党時代のように、政府・与党との違いを強調することばかりに固執すべきではない。
継承すべき政策はしっかりと継承し、むしろ発展させる発想が大切だ。
今月下旬の国連総会に合わせた初の日米首脳会談、10月にゲーツ国防長官来日、11月にオバマ大統領来日と、重要な外交日程が続く。
最初は、日米同盟の重要性を「言葉」で確認すればいいが、それだけではすまされない。
テロとの戦い、北朝鮮の核、在日米軍再編、世界経済の回復など日米が連携して取り組むべき重要課題は多い。
日本は、問題解決のためにどんな役割を果たすのか。
例えば給油活動を中止するなら、具体的な代案を示すべきだ。
民主党は社民、国民新両党との連立政権協議で、「緊密で対等な日米同盟関係」を合意文書に盛り込むよう提案している。従来以上に米国に注文する狙いだろう。
だが、物を言う以上は、当然、日本が相応の国際的な責任を担う覚悟を忘れてはなるまい。
鳩山代表が再三口にする「オバマ大統領との信頼関係」は「行動」なしに実現しない。(2009年9月4日 読売新聞)
何をかいわんや、である。信じちゃダメよ、こんな社説!
もういちど、今日はここまで、またね。
報道に対する科学的考察
真実を探究するのは、科学の任務である。
だから、嘘と誠、間違った情報と真実とを区別するには、科学が真理を探究するのと同じようなしかたで、テレビ・新聞を通じて与えられる報道を、冷静に考察しなければならない。
乱れ飛ぶ情報を科学的に考察して、その中から真実を見つけ出す習慣をつけなければならない。
一、科学的考察をするに当たって、まず心かけなければならないのは、先入観念を取り除くということである。
われわれは、長い間の経験や小さい時から教えられ、言い聞かされたことや、最初に感心して読んだ本や、その他いろいろな原因によって、ある一つの考え方に慣らされ、何ごとをもまずその立場から判断しようとするくせがついている。それは、よいことである場合もある。しかし、まちがいであることもある。そういう先入観念を反省しないで物ごとを考えて行くことは、とんでもないかたよった判断にとらわれてしまうもとになる。昔の人は、風の神が風をおこし、地下のなまずがあばれると地震になると思っていた。そういう迷信や先入観念を取り除くことが、科学の発達する第一歩であった。
近ごろでも、日本人は、苦しい戦争の時には「神風」が吹くと信じて、大本営の発表ならばほんとうだと思いこんでいた。
そういう先入観念ぐらい恐ろしいものはない。
政治上の判断からそのような先入観念を除き去ることは、科学的考察の第一歩である。
二、次に大切なのは、情報がどういうところから出ているかを知ることである。
見たり、読んだり、聞いたりしたことを、そのまま信じこむことは、ただ単におろかなことであるばかりでなく、また非常に危険である。
だから、いつも自分自身に次のようなことを質問してみるがよい。
すなわち、誰がそれを書き、それを言ったか。
それはどんな連中だろうか。
かれらにはそういうことを言う資格があるのか。
どこで、どうしてその情報を得たか。
かれらは先入観念を持ってはいないか。
ほんとうに公平無私な人たちか。
あるいは、まことしやかなその発表の実に、何か利己的な動機が隠されてはいないか。
こういった質問を自分自身でやってみることは、確かに科学的考察の役に立つであろう。
三、テレビを見るとき、またラジオを聴くとき、新聞や雑誌などを読む時に、次のような点に注意する。
イ、社説を読んで、その新聞や雑誌のだいたいの傾向、たとえば、保守か、急進かをできるだけ早くつかむこと。
ロ、それがわかったならば、それとは反対の立場の刊行物も読んで、どちらの言っていることが正しいかを判断すること。
ハ、低級な記事をかかげたり、異常な興味をそそるような書き方をしたり、ことさらに人を中傷したりしているかどうかを見ること。
二、論説や記事の見出しと、そこに書かれている内容とを比べてみること。
記事の内容にはだいたいほんとうのことが書いてあっても、それにふさわしくない標題を大きくかかげ、読者にまるで違った印象を与えようとすることがあるから、標題を見ただけで早合点してはいけない。
ホ、テレビや新聞の経営者がどんな人たちか、その背後にどんな後援者がいるかに注意すること。
政府の権力に迎合する新聞を御用新聞というが、政府でなく金権階級におもねるような新聞も、御用新聞であることに変わりはない。
四、毎日のテレビ・新聞・ラジオは国際問題でにぎわっている。
今日では、国の内部の政治は国際問題と切り離すことのできない関係があるから、国際事情には絶えず気をつけて、その動きを正しく理解することが必要である。
戦争前の日本国民は、世界中が日本のやることをどう見ているかを少しも考えずに、ひとりよがりの優越感にひたっていた。
これからも、日本が国際関係の中でどういう立場におかれているかを、絶えずしっかりと頭に入れて、その上で国内の問題を考えて行かなければならない。
国際間の宣伝は、国内におけるよりももっと激しく、もっとじょうずに行われるから、いろいろなことを主張し、論争している国々の、ほんとうの目的を察知するように努めなければならない。
特に、言論や出版が政府の手で厳重に統制されている国に対しては、そういう注意が大切である。
五、世の中の問題は複雑である。問題の一つ面だけを取り上げて、それで議論をすることは、きわめて危険である。
だから、ある主張をする者に対しては、問題の他の反面についてどう思うかを聞いてみるがよい。
情報を読み、かつ聞くだけてなく、逆にこちらからもいろいろと疑問をいだいて、それを問いただす機会を持たなければならない。
それには、討論会などを盛んに開くことが有益である。学校などでも、クラスごとに時事問題についての討論会を行うがよい。
研究グループを作る時には、反対の考えの人々をも仲間に入れなければならない。
それは、科学者の行う実験のようなものである。
いろいろな場合をためしてみて、いろいろな人の研究の結果を聞くことによって、誤りはだんだんと取り除かれ、共通の一つの真実が見いだされる。
そういうふうにして、物ごとを科学的に考察する習慣をつけておけば、それが民主主義の社会で責任のある行動をする場合に、どんなに役に立つかしれない。
要するに、有権者のひとりひとりが賢明にならなければ、民主主義はうまく行かない。
国民が賢明で、物ごとを科学的に考えるようになれば、嘘のプロパガンダ(情報操作・世論誘導)はたちまち見破られてしまうから、だれも無責任なことを言いふらすことはできなくなる。
高い知性と、真実を愛する心と、発見された真実を守ろうとする意志と、正しい方針を責任をもって貫く実行力と、そういう人々の間のお互の尊敬と、協力と、……りっぱな民主国家を建設する原動力はそこにある。
そこにだけあって、それ以外にはない。…以上で、文部省の難しい教科書の授業を終わります。
テレビがまだ無い時代の書物なので、至る所に「テレビ」と「マスメディア」を入れた、大臣の視察のところは「自転車を使わずに、『馬』で村を回る」と書いてあった。
でも、今に通じるものがあると思わないですか?
例えば、
内容を理解しながら書いていたので頭が疲れてしまった。今日はここまで、またね。
といったものの、最後に今日の読売新聞社説を載せておく。自分で教科書のように科学的考察をして真実を見つけ出してほしい。
例えば、鳩山論文の全文を読んだり、本当にアメリカで「波紋が広がっている」のか調べたり、アメリカは日本が何でも言うことを聞く従属国であったほうが良いに決まっているワイな、とかいった科学的考察をして見てくださいね。
鳩山対米外交 信頼構築へ言動が問われる(9月4日付・読売社説)
日米の信頼関係を築くには「言葉」だけでなく「行動」が肝心だ。
民主党の鳩山代表がオバマ米大統領との電話会談で「日米同盟が基軸」との意向を表明し、未来志向の関係を築くことで一致した。ジョン・ルース駐日大使との会談でも、日米関係の強化を確認した。
民主党の衆院選勝利後、早々の大統領からの電話や大使の表敬訪問は、米政府が日本を重視すると同時に、今後の日米関係を心配しているため、と見るべきだろう。
というのも、米紙に最近掲載された鳩山代表の論文が「反米的だ」などと米側に受け止められ、波紋を広げているからだ。
論文には、「日本は米国主導の市場原理主義に翻弄(ほんろう)され続け、人間の尊厳が失われた」「米国の政治的、経済的行き過ぎは抑制したい」といった表現がある。
鳩山代表は「反米的な考え方を示したものでない」と説明する。
だが、論文が米国批判を含み、結果的に「反米的」との印象を与えた事実は否定できない。
米側の反応の背景には、インド洋での海上自衛隊の給油活動への反対や、在日米軍再編の見直しなど、従来の民主党の主張に対する不信感の蓄積もあるだろう。
鳩山代表は、もはや単なる野党党首でなく、次期首相の立場だ。
その発言の重みを自覚し、行動することが求められる。
野党時代のように、政府・与党との違いを強調することばかりに固執すべきではない。
継承すべき政策はしっかりと継承し、むしろ発展させる発想が大切だ。
今月下旬の国連総会に合わせた初の日米首脳会談、10月にゲーツ国防長官来日、11月にオバマ大統領来日と、重要な外交日程が続く。
最初は、日米同盟の重要性を「言葉」で確認すればいいが、それだけではすまされない。
テロとの戦い、北朝鮮の核、在日米軍再編、世界経済の回復など日米が連携して取り組むべき重要課題は多い。
日本は、問題解決のためにどんな役割を果たすのか。
例えば給油活動を中止するなら、具体的な代案を示すべきだ。
民主党は社民、国民新両党との連立政権協議で、「緊密で対等な日米同盟関係」を合意文書に盛り込むよう提案している。従来以上に米国に注文する狙いだろう。
だが、物を言う以上は、当然、日本が相応の国際的な責任を担う覚悟を忘れてはなるまい。
鳩山代表が再三口にする「オバマ大統領との信頼関係」は「行動」なしに実現しない。(2009年9月4日 読売新聞)
何をかいわんや、である。信じちゃダメよ、こんな社説!
もういちど、今日はここまで、またね。