プロ野球初安打

2007年04月20日 | 健康・病気
阪神が劇的サヨナラ、延長戦で巨人を下す(読売新聞) - goo ニュース

今夜の阪神は素晴らしい勝ち方をした。
正直、延長12回の巨人の攻撃が終わったときには
負けたと思った。
なんで3点も入れられてしまうんだ、と腹が立ち、
テレビを消してしまおうかと思った。

昨夜は中日にひどい負け方をした。
6点差をひっくり返された。
なにやってんだ、といいたくなった。
しかし、それは今日のゲームで許す。

それにしても同期で阪神に入った狩野と赤星がお立ち台にたった。
狩野は、プロ野球の初安打がサヨナラヒットになった。
3位指名の狩野は、4位指名でずーっと活躍してきた赤星を
二軍にいてどんな思いで見てきたのだろう。
そこにも人生のドラマを見てしまう。
狩野選手にはこれから活躍してもらいたい。

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職安通い 9

2007年04月19日 | 健康・病気
3月5日月曜日、私は面接に行った。
去年、息子の同居人の親と会うときに買ったスーツを着て。
私の生活にスーツはいらない。
20何年かぶりに買ったスーツだ。
あの会社の面接にスーツなんか着ていく必要はないかな、
なんて思ったりしたが、でも、これはカタチだ。
その日、女房は会社の公休で休んでいた。
女房に送られて家を出た。

土曜日に会社の状態を見て私は少々怖じ気づいていた。
あんなところで私は働けるのだろうか?、と。
でもそのときの私は仕事が欲しかった。
就職しないととてもまずい状況になる。
自分自身が壊れそうだった。
生きていることが持続できない心境でした。

しかし、なんでしょうね。
そんなときも毎日九想話を書いていた。
とても九想話など書いてる精神状態ではなかった。
でも逆に、九想話を書かなくては、
ということで生きていたのかもしれない。
なんだかよくわかりません。

会社の事務所だと思われる前に車を停め中に入った。
奥の机の前に坐っている人がいた。
その人が埼玉営業所長だった。
その人の前に坐って履歴書、職務経歴書を渡し、
5分ほどで採用が決まった。
今思えば、面接に来た人はだれも採用するんだろうと思う。
なにしろ1年前、会社で働いていたのは中国人が4人だった。

翌日から働くことになった。
「汚れていいものを着てきて下さい」といわれた。
車に戻って私は、嬉しさ3割、
あとの7割は、ここでやっていけるのか?という思いだった。
しかし、やるしかない。
働かなくてはならない。

女房に「採用された」とメールを送った。
家に戻ると、女房も義母も喜んでくれた。
夕飯に久しぶりにマグロの刺身が出た。

これで「職安通い」は終わりにします。
とりあえず就職しました。
さて、就職したのはいいけれどこのあとどうなりますか?


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すみません

2007年04月19日 | 健康・病気
昨日は、陶芸教室のあと楽家に寄り、
なんと近所のカラオケ居酒屋なんぞに行ってしまった。
水曜日だというのに盛り上がってしまいました。
かなり酔っぱらったので、九想話が書けなかった。
申し訳ございません。
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長崎市長死亡

2007年04月18日 | 健康・病気
昨日、暴力団の男に撃たれた長崎市長が、
出血多量で午前2時28分に亡くなった、
とラジオ深夜便のニュースでいっていた。

やるせないですね。
昨日、アメリカの大学での銃撃事件で学生ら32人が犠牲になった。
言葉もない。

(この時間に書く九想話は、いつもだと17日となるのですが、
 これは18日とします。18日午前3時57分)
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則天去私

2007年04月17日 | 健康・病気

4月14日、陶芸の仲間の家で楽しく飲んだ。
家に帰ってネットを見る。
私がいつもパソコンを立ち上げて最初に見るサイトは
「へちま亭」というブログです。
アサヒネットの会長が毎日書いている。
何度かお会いしていてその人柄が大好きなのです。

その日の「へちま亭」には、
> 前回処分したはずの「夏目漱石全集」が残っています。
> 欲しい方に贈呈しますが、
> へちま亭は個人でやっているので原稿料ゼロです。
> したがいまして「運賃着払い」なら送ります。
と書いてあった。
私は、漱石全集が前から欲しかった。
すぐ、「いただきたい」とメールした。

翌日は女房の誕生日なんですが、女房と話しているときに思った。
(おれの部屋は引っ越して狭くなった。
 今でも狭くて女房からなんとか整理しろといわれている。
 なのにそこに漱石全集なんかいただいておいといたら
 何いわれるだろう)
女房のその顔を想像したら恐怖で生きてる心地がしなかった。
すぐ、「部屋が狭いため欲しいのですがいただけません」とメールを書いた。
すると、今日の「へちま亭」にその顛末が書いてあった。
 私もいただけるものならいただいて、
読んでから古本屋に売ってしまおうなんて一瞬考えました。
でもね、私より欲しい人がいたらその方に申し訳ない、と思った。
いや、それよりも女房が怖かった。

でも、部屋がもう少し広かったら欲しかったな。
私が日本女子大生協の書籍部担当のとき、
漱石全集の予約販売があった。
私は何人かの購買予約者に毎月本を渡しながら
いつの日かこんなりっぱな本を自分のものにしたいな.
漱石全集をいつか自分のものにしょう、と夢見た。

それで「へちま亭」を読んだとき、喜びいさんでメールを書いた。
貧乏性の私は、今ちょっと後悔している。
大きな本の全集だが、私の部屋に置けないことはない。
ああ…、もらっておけばよかった。
高校3年のときの国語の教師は、夏目漱石が好きだった。
よく覚えていないが、何かの短編が教科書にあった。
そのときの先生の授業が熱かった。
「則天去私」ということをくどいほどいっていた。
そのときは何も考えなかったが、
今私は「則天去私」ということを考えて生きている。
あの先生の教えを復習するためにも漱石全集が欲しかった。
いやいや、今さらくよくよするのはやめよう。

「則天去私」で生きなくては…。

 

 

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吹奏楽のススメ

2007年04月16日 | 健康・病気
昨夜の「N響アワー 」(21:00~22:00 NHK教育 )は、
「吹奏楽のススメ」ということでブラスバンド編成の演奏だった。

「海を渡った握手」スーザ作曲
「アルメニアン・ダンス・パート1」アルフレッド・リード作曲
「展覧会の絵」ムソログスキー作曲
「ローマの松」レスピーギ作曲(これはオーケストラでした)

私は、中学からブラスバンドでトロンボーンを吹いていた。
吹奏楽は大好きです。
30歳前後のころ富士見市というところに住んでいたとき、
市民吹奏楽団に入っていた。

所沢にも吹奏楽団はいくつかあるが、
ここにきて入る気がしなかった。
自分の限界を感じてしまったからです。
仕事も忙しくなったころでした。
いつの日かやれるものならやってみたい。
アンサンブルの中にいるときは最高です。

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職安通い 8

2007年04月16日 | 健康・病気
みなさんはもう私の職安通いの話など飽きたでしょうね。
私も書いていて辛くなってきました。
でも、書き始めたのですから最後まで書きます。
みなさまももう少しお付き合い下さい。

3月2日金曜日に5社目の不採用の連絡があった私は、
落ち込む気持ちを脇においてまた職安に行った。
とにかく仕事を探さなくてはならない。
こうなったらどんな仕事でも…、という思いだった。

以前からどこもなかったら行ってみようと考えていた会社があった。
そこを紹介してもらおうと思ったのです。
仕事は倉庫での在庫整理というようなことだった。
当然、フォークリフトを使う仕事だった。
これまで応募しなかったのは、給料も安く、
ボーナスがないからだった。

私の番号が呼ばれ職員と話す。
応募する会社に職員が電話する。
すると「ここは若い人しか採らないそうです」という。
「だって、求人票には年齢不問と書いてあるではないか」
と私は叫びたかったが、
「それじゃいいです」と笑顔で職員にいった。

電話を切った職員に「それじゃここはどうですか?」
といって別の求人票を見せた。
私は何枚か“最後の切り札”としての求人票を持っているのです。
でも、その会社が最後の最後でそこがダメだったら、
次は、トラックかタクシーのドライバー、
警備員の仕事でもやるつもりだった。
そこはもっと給料の安い会社でした。
仕事もきつそうだった。
しかし、背に腹は代えられない。
もうこれ以上無職でいたら、家庭崩壊の可能性もある状態だった。

職員がその会社に電話をする。
「15キロぐらいのものを持つ仕事らしいですができますか?」
腰痛持ちの私だが、そのときはそんなことをいってられない。
「大丈夫ですよ」とにこやかに応えた。
面接することになり、紹介状を書いてもらった。
面接日は面接する人が忙しく、追って連絡してくれる、となった。

夕方、その人から携帯電話に連絡が来た。
「月曜日、3時から面接いいですか?」
私は快諾した。

場所を見ておこうとその会社まで私は車で行った。
行って驚いた。
広い地べたに足場資材が野積みになっていた。
その会社は建築の足場を扱う会社だった。

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職安通い 7

2007年04月15日 | 健康・病気
次の日、面接に行った。
会社は国道463号(うらとこバイパス)沿いにあったのですが、
駐車場に車を停めて働いている人を見て驚いた。
みな首に身分証明書というか社員証をぶら下げていた。
しょせんパンフレットなどの印刷会社という気持ちがあった。
どこか別なところで印刷したものを
所沢のここで管理しているようだった。

会社の玄関は閉まっていてドアは開かない。
インターフォンで用件を伝えると鍵が外された。
2階に受付があった。
女性に面接に来たことをいうと、応接間に通された。
10分ほど待たされて担当の人がやってきた。
面接の前に1枚の紙を見せられた。
「個人情報……」とか書いてあるものだった。
まずそれを読めといわれた。
読むと、あずかる履歴書等は不採用のときには送り返す。
個人情報はこのこと以外には利用しない、などと書いてあった。

一通り面接の質問をされた。
きっちりしていた。
ちゃんとした会社だな、
こんなところで働きたいなと思った。
20名ほど応募の人がいて2名採用するということだった。
私はムリだなと考えた。
応募してきているのはみな若い人らしい。
働いている社員もほとんど20、30代だった。
だったらなんで求人票に年齢不問ってあるんだ、といいたくなったが、
法律で決まっているのだからそう書かざるをえないのだろう。
案の定、4日して履歴書と職務経歴書が「配達記録」という
赤い印字をされた封筒に入って帰ってきた。


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職安通い 6

2007年04月14日 | 健康・病気
普通の会社の資材購買、生産管理の職歴では就職できない、
と悟った私は、応募する会社の方向を転換した。
50代のおじさんとしては、それなりの仕事しかないと思った。
ほぼ1ヶ月無職の立場でいると私はあせる気持ちがあった。

といってもトラックの運転手はやりたくない。
道路工事現場の交通整理などもできないと思った。
タクシードライバーという選択肢はあったが、
方向音痴の私には無理な仕事だと考えていた。
唯一、他人と少し違う特技というとフォークリフトが乗れる
ということだけだった。
これでいくしかない、と心を決めた。

職安で“物流業務社員”という仕事があった。
倉庫でフォークリフトに乗って、
商品在庫を整理する仕事のようだ。
パソコンも使える人、という条件もあった。
その会社を紹介してもらうことにした。
その会社は書類審査ではなかった。
翌日面接ということになった。

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小学校の桜

2007年04月13日 | 健康・病気

うちの目の前にある小学校の桜もきれいだ。
ここは息子たちも通った学校です。

この向こうには西武園という遊園地もあり、
夏には花火が見えるはずです。
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