年賀状

2014年01月04日 | 健康・病気

昨年、私は家を買うなんてことをしたために、いつもの年末とは違ってしまった。
そのひとつ、年賀状を書けなかった。
軽井沢の家にプリンターがないので、毎年東京の家で書いていた。
それができなかった。

年賀状というものは私にとってへんなものになってしまった。
親しくしていても書かない人がいる。
いや、どちらかというと親しくしてない人に書いているような気がする。
何年も会っていないのに、年賀状だけ交換している人もいる。
でも、この年賀状だけのつきあいもいいものだと思う。

龍彦のお母さんと何年も年賀状のやりとりをしていた。
ところが、一昨年、龍彦の弟さんから「母が亡くなった」と連絡が来た。
現在は、弟さんから年賀状が来る。

大学生協で一緒に働いていた友人が、長男なので富山に戻った。
生協にいるときに同人雑誌を作った。
彼は、今も小説を書いていて同人誌を送ってくる。
今年の年賀状にも「同人誌を送ります」と書いてあった。
昨年、小説をひとつも書いてない私は恥ずかしい。

昔、同じ会社だった熊本の友人と年賀状を交換していた。
15年前、親会社が私たちの会社を売却したために、熊本事業所は別の会社になった。
私はそのとき山梨にいたのだが、東京の本社が山梨に移るというのでその会社を退職した。
1年で本社に戻れるという約束で山梨に行ったのに、戻るところがなくなってしまったからだ。
9年前に、私が就職した会社で熊本に仕事で行くことがあり、彼と会い彼の家に泊めてもらった。
それなりに親しくしていたのに、いつの頃からか年賀状が来なくなった。
事情は分からないが、さびしい。

山梨に単身赴任していたときに私の部下として一緒に働いていた女性は、
会社のリストラがあったときに退職して看護学校に行った。
たしかそのとき25歳だった。
高校生のときに看護師になりたいと思っていたという。
それから4年たってみごとに看護師になった。
ずーっと年賀状を私に書いてくれている。
現在は結婚してご主人とツーショットの写真のある年賀状を送ってくる。
まだ、お子さんは生まれないのだろうか?

24歳のときに福岡の九想窯に遊びに行った。
蹴ろくろなどやらせてもらった。
九想窯のオーナーは私の友人のお兄さんです。
そのときから毎年年賀状を出していた。
すると必ず俳句を書いた達筆な年賀状が返って来た。
20年前、ハンドルネームを「九想」にするときに、使わせていただきたいと手紙を書いた。
年末に年賀状を書いてないのでいまさら書けない。
近いうちに近況を手紙に書きたいと思う。

九想窯のオーナーの弟は、昨日の九想話に書いた I さんです。
彼は、私たちの住んでいた駒込のアパートから日暮里のほうに引っ越し、結婚して横浜に移った。
それから京都の山科に行き、そして山梨に定住した。
私が山梨に単身赴任していたときに、ときどき行って泊まっ たりしていた。
私が年賀状を書くと、4・5年前から奥さんから年賀状が来るようになった。
私は昨年、彼に年賀状を書いてない。
彼にも手紙を書こう。
20歳のときからつきあっている友だ。

年賀状も手紙も電子メールもコミュニケーションのツールです。
それぞれの特性を生かして利用したいと思う。
私は友人と長くつきあっていたい。

 

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2 コメント

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Re:年賀状 (九想)
2014-01-06 19:58:34
私はこれまで「先出し」でした。
が、今回は「後出し」になってしまいました。

私としては、「先出し」のほうがいい。
来た年賀状に返事だけ書いていたら、
そのうち誰からも来なくなってしまう予感がします。

でも、このままでいくと年賀状は世の中からなくなっていくのでしょうね。
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年賀状 (肥さん)
2014-01-05 06:37:03
年賀状について書いていくと,いろいろな思いが浮かび,
まるでそれは私小説の世界になりそうです。

私は原則として年賀状は「先出し」せず,
近況を伝えるお礼の「後出し」のみです。
こうすると毎年だいたい同じ枚数を準備していれば足り,
金銭的な負担もそれほどではないのでそうしています。
だいたい忙しい年の暮れ(12/25頃)に出さないと
正月に届かないわけで,涙ぐましい努力ですよね。
返信する

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