ウィズ・ザ・ビートルズ

2023年09月21日 | 小説 エッセイ

今日は妻が退院して初めてのリハビリの日だった。
妻は自分で玄関から歩いて出て(ドアとか壁など何かにつかまってだが)、
ワゴンRのボンネットに手を添えて歩き、助手席から車に乗れるようになった。
助手席は目一杯後ろに移動して、足を伸ばして乗らなければならなかった。
妻の左足は、頑丈なギブスで固定されているのです。
家から病院の駐車場には20分ほどで着く。
私は100mほど離れた病院の玄関に置いてある車イスを押して駐車場に戻って、
妻を載せて病院に入る。
リハビリの予約時間は14時25分、私たちは13時45分に着いてしまった。
妻のリハビリは、14時30分から始まった。

私はデイルームで本を読んでいた。
最近買った村上春樹の「一人称単数」(文春文庫)です。
この本を私はのんびり読んでいる。
新潟の旅に行くときに買った本です。
この本には8編の短編小説が載っている。

収録作
「石のまくらに」「クリーム」「チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ」
「ウィズ・ザ・ビートルズ With the Beatles」「『ヤクルト・スワローズ詩集』」
「謝肉祭(Carnaval)」「品川猿の告白」(以上、「文學界」に随時発表)
「一人称単数」(書き下ろし)

今日、妻がリハビリをしているときに読み終えたのは、
「ウィズ・ザ・ビートルズ With the Beatles」でした。
ここまで読んだこの本の中で一番好きな小説だった。

>一人の女の子のことを―かって少女であった一人の女性のことを―今でもよく覚えている。
>でも彼女の名前は知らない。もちろん今どこで何をしているかも知らない。僕に分かって
>いるのは、彼女が僕と同じ高校に通っており、同じ歳で(僕と同学年を表すバッジを胸に
>つけていた)、おそらくはビートルズの音楽を大事に考えていたということぐらいだ。そ
>れ以外のことは何も分からない。
(略)
>その翌年、一九六五年に起こった最も重要な出来事は、(略)僕に一人のガールフレンド
>ができたことだった。彼女とは一年生のクラスで同じだった。そのときは交際というほど
>のものはなかったのだが、二年生になってからふとしたきっかけでつきあうようになった。
(略)
>しかしいずれにせよ、僕は彼女たちと共にそれなりに素敵な、親密な時間を過ごすことが
>できた。彼女たちと良い友だちになることもあれば、もう少し親しい関係になることもあ
>った。彼女もそんな女性の一人だった―というか、もう少し親しい関係になった最初の一
>人だった。
>ちなみに僕と彼女が同じクラスだったときの担任の教師は、その数年後に自宅の鴨居から
>首を吊って死んだ。社会科の教師だった。思想の行き詰まりが自殺の原因だったというこ
>とだ。
> 思想の行き詰まり?

一九六五年の秋の終わりの頃、彼女のお兄さんと初めて会って話した。
その日曜日に、彼女の家に迎えに行ったが、彼女がいないでお兄さんがいた。

>そのようにして僕はその日曜日の朝、ガールフレンドの風変わりなお兄さんのために、
>芥川龍之介の『歯車』の一部を朗読することになった。
(略)
>その最後の一行は、「誰か僕の眠っているうちにそっと絞め殺してくれるものはないか?」
>だった。それを書き終えてから、芥川は自殺したのだ。

結局、ガールフレンドは家に帰ってこなかったので、僕はうちに帰った。

>僕のガールフレンドのお兄さんと再び出会ったのは、それから十八年くらいあとのことだった。
(略)
「サヨコ(ガールフレンド)さんはどうしていますか?」とお兄さんに尋ねると。

>「サヨコはなくなりました」と彼は静かに切り出した。僕らは近くのコーヒーショップの、
>プラスチックのテーブルをはさんで座っていた。
>「なくなった?」
>「死んだんです。三年前に」
>僕はしばらくのあいだ言葉を失っていた。

彼女はまだ幼い子供を二人残して自殺した。

その短編小説を読み終えた頃、妻がリハビリを終えて私の前に車イスで現れた。
妻が自然に歩けるようになるのは、まだまだ先のようです。



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