吹奏楽

2016年08月03日 | 健康・病気
吹奏楽は、私の音楽の原点です。
私は、中学・高校の吹奏楽部でトロンボーンを吹いていた。
30代の3年ほど、埼玉県のある市民吹奏楽団に入っていた。
そこで私の吹奏楽は終了しました。
社会人になった私は、リコーダーを吹き、それがケーナに変わった。
ギターは私の横にいつも置いていた。
現在は、尺八もよく吹いています。(自分で作った水道管尺八ですが…)
 
土曜・日曜日と、私の勤める施設の体育館で佐久市のある中学校の吹奏楽部が、マーチングの練習をしていた。
いい音を出していた。
私が中学生の頃に出していた音とは雲泥の差があった。
見ると、ほとんどが女の子なんです。
素晴らしいです。
 
今、日曜日の夜9時から、「仰げば尊し」というドラマをやっている。
これはある高校の吹奏楽部の話です。
誰からも期待されなかった無名高校の吹奏楽部が、
たった1人の教師の下で、全国の頂点“音楽の甲子園”を目指す物語だ。
私は毎週、心を熱くして観ています。
 
私が高校3年のときに、大学を卒業したばかりの教師が吹奏楽部の顧問になった。
それまで吹奏楽部のことはまったく知らない音楽教師が顧問だった。
吹奏楽部のことにはまったく無関心で、生徒たちだけで部活をやっていた。
新しい顧問は、大学の吹奏楽部でフルートを吹いていて、茨城交響楽団にも入っていた。
私が高校2年までは、吹奏楽部の部長が指揮をしていた。
3年からは顧問の教師が指揮をしてくれた。
きびしかったが、吹奏楽ということを分かりやすくきちんと教えてくれた。
4月に顧問が言った、「コンクールに出る」と。
それまでの私たちの部活動は、春にある「隣接高校音楽会」に出演し、体育祭で演奏し、
入学式・卒業式に校歌の伴奏をするぐらいだった。
その程度の吹奏楽部がコンクールに出ることになった。
5月の日曜日、先生が生徒を4・5人連れて東京の銀座に行った。
YAMAHAに行って、コンクールで演奏する曲の楽譜を買ったのです。
そういう行動1つひとつが、私たちには刺激になった。
コンクールに演奏する曲を自分たちで選んだ、という気持ちにさせてくれた。
先生の卒業した大学の吹奏楽部の後輩たちが、月に何度か来て指導してくれた。
夏の合宿には、大学生が4・5人来て各パートを指導してくれた。
その結果、それまでどうでもいい演奏をしていた私たちの吹奏楽部は、銅賞を受賞した。
部長だった私は、コンクールの最後にステージで表彰された。
銅賞でしたが、嬉しかったです。
そのとき賞状を授与してくれた人は、
私が中学生のとき、年に1度ほど指導を受けた茨城警察音楽隊の隊長だった人でした。
私のことを覚えていてくれて、祝福の言葉をかけていただきました。
3年の1月に、第1回定期演奏会を開催した。
楽しい高校3年生を送れました。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする