ゆっくりのんびり市町村廻り

何年かかるか、もしかしたらできないかもしれないけど、日本の全市区町村の制覇を目指して頑張ってみる!

151日目 朝来の「鉱石の道」(2)

2016-06-05 23:50:05 | 近畿(大阪・兵庫)
2016年5月4日(水)


続いて神子畑(みこばた)鉱山の方へ車を走らせます。
↓神子畑鋳鉄橋(ちゅうてっきょう)



明治18(1885)年の架けられた現存する日本最古の全鋳鉄橋で、国の重要文化財。
神子畑鉱山からの鉱石運搬のために建設された神子畑-生野間16.2km、幅員3.6kmの馬車道(鉱山道路)が神子畑川を横切るための橋。

次に、程近い神子畑選鉱場跡へ。
↓因みにこの周辺の地図(「鉱石の道」のサイトより)。


↓約6km離れた明延(あけのべ)鉱山(養父市)から運ばれてきた鉱石を亜鉛や銅、スズに選鉱した場所。
 


もう日が暮れるようかという時間だからか、場の雰囲気は虚無感・廃墟感たっぷりで、時計の針が止まったかのような空間。

今では見てのとおり、22段あるという建物基礎部分とインクライン(ケーブルカー)の廃線、シックナーなどが残るだけですが、選鉱所自体は昭和62(1987)年の明延鉱山閉山後、操業を終了し閉鎖されてもなお、しばらく建物は残っていたという。
ですが、平成16年についに撤去・解体。

↓明延鉱山閉山と同時に廃止された「一円電車」。

神子畑-明延を結んでいたので、正式な名は「明神電車」。
私が小さい頃はまだこの電車(といっても電気機関車が客車を引っ張っていたっぽいけど)は現役バリバリで、当時の小学生向け雑誌に「たった1円で乗れる鉄道があるんだぞ」などと小学生物知り博士のための記事として載っていたのを記憶しています。

ただ、どこを走っているのだか全く分からず、いつしかこの鉄道の事など記憶の彼方へと吹っ飛んでしまっていましたが、今回この旅に出るにあたって事前の下調べしていた際にここを走っていたのをようやく知り、併せて当時の記憶もブーメランのように戻ってきた次第。

因みにこの鉄道はここから走っていたのではなく、インクラインの上から明延へ向かっていたよう。

中に入ってみる→
客車というより人運搬箱ですな。
大人が二人向かい合って座ると、膝を突き合わせるどころか、相手の吐息まで感じられそうな狭さ。夏なんかはむさ苦しそうだ。

↓ムーセ旧居(現在はムーセハウス写真館)

生野鉱山開発のため明治政府によって招かれたフランス人技師のうちの一人、ムーセさんの元住居。
彼が日本を去った後の明治20年に神子畑に移築され、事務舎・診療所として利用される。

こういう所だから、当然周辺も廃墟感が漂ってます。
小学校跡→

昔は旅館だったぽい仕舞屋→

右岸側の旧道→

↓この日のネグラは、養父(やぶ)市の「道の駅但馬楽市」。



宿泊施設もあるのだけど、そこはケチる。

美肌の湯「やぶ温泉」付きの道の駅ですが、レストランもあり、松阪牛などの全国のブランド牛がその血を引いているとされる、まさに和牛の始祖たる「但馬牛」の料理が味わえます。
因みにかの有名な神戸牛は、但馬牛のうち一定の基準をクリアしたものだという。
知らなかったわ。

ただ、ここに着いたのは19時半頃。オーダーストップは20時半だけど、店はいっぱいな上、待っている人がそこそこいる・・・。諦めて温泉に浸かる。

この日の走行距離140km、千葉を出てから844km。

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