ゆっくりのんびり市町村廻り

何年かかるか、もしかしたらできないかもしれないけど、日本の全市区町村の制覇を目指して頑張ってみる!

24日目 うつくしま福島 会津中通り その2

2012-09-28 22:26:21 | 南東北
2012年9月17日(月)


この日の行動を書く前に、前日乗った只見線の事でちょっと。
22日を最後にJR線でタブレットによる運行が終わるんですね(このブログを投稿する時にはもう終わっているんですが)。
全くその事を知らないで私はノコノコとやって来ていた訳でして、それなら見ておいても良かったかなぁ、とも思ってます。

そう言えば、タブレットがどうのこうの書いてあった駅のポスターか何かをよく見ましたね・・・
あまり興味なかったから気にしなかったんでしょうけど。
ちょっと残念でした。

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今日は7時33分会津若松発喜多方行きの列車でスタートします。

会津若松駅→
左は白虎隊の像

目指すは会津若松市とラーメンで有名な喜多方市に豆粒のように可愛らしく挟まれている福島県で一番面積の小さい自治体の湯川(ゆがわ)村です。
鉄道としては磐越西線の笈川(おいかわ)駅がこの村の唯一の駅で、役場の最寄駅でもあります。
最寄りと言いましても約2キロくらい距離がありますが。

10分乗りまして、その笈川駅で降ります。

典型的な田舎の駅です→

役場に向けて歩きます。

のどかな田舎道→

↓笈川幼稚園にある二宮尊徳(金次郎)の像

果たして園児には、この像の意味するところを理解できるのでしょうか?

↓(125)福島県河沼郡湯川村役場

質素な造りな庁舎です。


当初はここから約4キロ離れた塩川駅まで歩く計画でした。
というのも、笈川駅はほとんどの列車が通過するので、次に止まるのは10時2分の喜多方行きです。でも今日は喜多方の方へ行くつもりは全くなく、ならば会津若松へはというと何と12時50分までないという凄まじさ・・・
笈川の次の駅の塩川駅は全部の列車が停車しますので、そこまで歩くしかないと思ってました。

ところが、役場前から会津若松へ行くバスがあるを知り、たまたまですが、土日祝日は一日2往復しかない(平日でも6往復)うちの1本が役場前から8時12分に出ることが分かり、しかも会津若松市役所の近くまで運んでくれます。こういうのは有り難く使うことにします。

湯川役場前バス停→

↓冷房を付けてくれないので蒸し風呂状態の車中です


お陰さまで楽に(冷房なしは不満ですが)9時前に会津若松市役所に行けました。

↓(126)福島県会津若松市役所


堂々として風格のある建物。昭和12年に竣工されました。

会津若松市は現在の人口約12万5千人の、会津地方の中心地です。
明治22年に福島県で最初に市制を敷き、若松市となり、昭和30年に会津若松市と改称しました。
鶴ヶ城や白虎隊などで有名な観光地でもあります。

私が仙台に住んでいた頃は小学校の高学年でしたが、修学旅行の行き先がこの会津で、この会津若松は勿論、裏磐梯にある五色沼、昨日触れました「野口英世記念館」へも行きました。その時に衝撃的だったのが、やはり白虎隊の最期の事でその自刃場所は今でも脳裏に焼きついています。

さて、次にいわゆる「野口英世青春通り」に行ってみます。

神明通り→
町の中心部。
この通りを始めとして市内で今月22日から24日まで「会津まつり」が開催されます(これまた既に開催されま「した」になりましたが)。

「野口英世青春通り」は野口英世が15歳から19歳の時に過ごした街として付けた通りの愛称です。

野口英世青春通り→

野口英世の像→
野口英世青春広場という中に建ってます。

↓野口英世青春館

野口英世が手術を受けた旧会陽医院跡です。1階は喫茶店、2階は資料館になっています。


お城にも行きたいので、あまりここらへんに時間をかけられません。
会津若松には市民の足や市内観光のため、「まちなか周遊バス」というのが運行されています。この通りにもバス停があり、ちょうどお城方面へ行くバス(ハイカラさん号)がやってくる時間なので、それに乗ろうと私を含め5人位で待ってました。

定刻より少し遅く来ましたが、あいにく立ち客がいたものの、詰めれば入れるなと思っていたところ、なんと運転手さんが「満員だから、後からすぐバスが来るからそれに乗れ!」と言って去ってしまいました。
「すぐ」と言ったので、臨時でもあるのかと思いしばらく待ってましたが、待てど暮らせどやって来ない。
もしかしたら「すぐ」と言うのは乗せないための方便だったのでは?
次の定期便も30分しないとないし、それに乗れる保証もない。
次第に苛立ってきましたが、私は「このままではきっとしばらくバスは来ない。歩いて行った方がきっと早いだろう」とわりと冷静に判断し、暑いんですが距離にして1.5キロを足で行く事に決めました。バスと同じ経路でお城に行きましたが、結局バスには追い抜かれませんでした(私の勝ち?)。
同じように待っていた他の人はどうしたのかな~?

↓蒲生氏郷のお墓の入口


↓戊辰戦争終焉の地の案内板

左の歌を詠んでいる山本八重子は、来年の大河ドラマ「八重の桜」の主人公・新島八重の事です。
会津出身で、同志社大学を創立した新島襄の妻で、大河ドラマの幟が町の至る所にあります。

↓若松城(鶴ヶ城)の入口とお堀




↓赤い瓦のお城


戊辰戦争後の写真→

言わずと知れた会津若松市のシンボルです。
伊達政宗、蒲生氏郷、上杉景勝、保科正之ら有名な大名が治め、明治の戊辰戦争では藩士がこのお城で1ヶ月間戦い続けました。

天守閣に登りたかったのですが、バスに乗れず時間の計算に狂いが生じましたので、お城の周りを歩くに留めざるを得ませんでした。

売店で買ったソフトクリーム→


さて、「まちなか周遊バス」のあかべぇ号で駅に行きます。

あかべぇ号→

↓ハイカラさん号

駅に着いたら出発するところでした。

あかべぇ号は市内を時計回りに、ハイカラさん号は反時計回りに運行されます。


これから磐越西線で郡山に戻ります。その途中で降りたのは磐梯町駅です。

↓(127)福島県耶麻郡磐梯町役場



郡山からは今度は磐越東線に乗ります。
磐越東線は郡山市といわき市を結ぶ路線です。
磐越の「磐」は旧国名の磐城(いわき)から、「越」は越後から、それぞれ一文字ずつ取って組み合わせています。
つまり、今で言う福島と新潟を結ぶという意味ですね。
その磐越東線沿線で訪れたのは2箇所です。

(128)福島県田村市役所

↓最寄り駅は船引(ふねびき)駅

←構内にある人形

市内を流れる大滝根川→

田村市には「あぶくま洞」という鍾乳洞があり、岩手県の龍泉洞、高知県の龍河洞、山口県の秋芳洞などとともに日本六大鍾乳洞と呼ばれます。
中学生の時に遠足で行ったんですけどね、でも、全く覚えてないです・・・
元々は津波で被災した相馬市の松川浦という所で潮干狩りをする予定だったのが、あいにくの雨で中止となり、その代替地として「あぶくま洞」になったのです。

↓(129)福島県田村郡三春町役場


この町の目玉はなんと言っても日本三大巨桜のうちの一つの三春の滝桜です。
ただ、遠い所にあるし、咲いているわけでもないので当然行きません。

その代わり、三春城(舞鶴城)址に行ってみます。
↓急坂を登ります





本丸跡標柱→

↓三春藩藩主であった秋田氏の慰霊碑


三春町を眺める→

みはる交流館「まほら」→


さて、郡山に戻ります。

郡山駅→

役所は駅から遠いのでバスで行きます。

↓福島交通バス


(130)福島県郡山市役所
右が改築中の本庁舎、左が分庁舎です。

役所の目の前に開成山公園があります。「山」と付いてますが、山はありません。

↓郡山総合運動場開成山野球場

8月30日に巨人対中日の試合が行われてます(9対3で巨人の勝ち)。

市役所から離れたところにはこういうのもあります。

↓福島県双葉郡双葉町役場福島支所

現在、原発事故で避難している双葉町は業務を埼玉県加須市で執り行なっています。

戻りのバスは何でだか分かりませんが、駅前の通りがやたら渋滞していて、なかなか進みません。これなら歩いて行った方が駅に早く着くと思い、止まっている時に終点手前で降ろさせてもらいます。

↓駅まで歩く




なお、福島県庁を郡山市に移そうという運動があるらしいです。
確かに地理的に郡山市は福島県のほぼ真ん中にあり、福島市より人口も多く、かつて栃木県庁が栃木市から宇都宮市に移った例もありますし、他県の者が言うのも何ですが、理屈はある気がします。
先日行った長野県も同じで、しばしば松本市への県庁移転問題或いは分県運動が起こりました。


次に郡山から東京に向かって3つ目の鏡石駅で降ります。

↓駅前の風車

唱歌「牧場の朝」のモデルの町だとは知りませんでした・・・

↓(131)福島県岩瀬郡鏡石町役場


ここが今日のラストです。

↓駅には震災の影響と思われる痕がありました。




黒磯を経て、宇都宮からはいつものとおりビールを飲みながら優雅に過ごします。

↓グリーン車代(事前料金)750円です。



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