唐茄子はカボチャ

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スターウォーズ スカイウォーカーの夜明け

2019年12月30日 | 映画 さ行
なんか、ネットでみてて、8はだめだけど9はまとめ上げた。とか、逆に9は失敗したという記事を読みましたが。

まず、そこまで思い入れないのでどうでもいいと思ってしまいますが…

人が人の作った作品を評価するって、そんなかんたんなことではないし、なら、あんたが作れよとなったときにその人がみんなが喜ぶような作品を作れるのかもわからないし。

人が作ったものをみるとどうしても矛盾点を指摘したり、自分のスターウォーズ像に照らしてどうかという、判断になったり。

でも、世の中って、思い通りに行かないし、バカバカしい理屈が通ってしまうこともあるし。願望が現実になるわけではない。そういう意味では、ストーリーを裏切られたこと自体、世の中思い通りに行かないということを教えてくれているんだろうと思います。

だから、こういう結末になったことは誰も批判できないのではないかとおもいます。

ディズニーが絡んで、JJさんが絡んで、そういった、いろんな制約の中ですべてが作られていくのだから、この結末は、なるべくしてなったもので、それをただ批判するのはかんたんだけど、本当にそれが嫌なら、そういう余計なものに左右されてしまう、今の映画事情こそなんとかしなければと、思わないのかな?と思ってしまいます。

どんな駄作と思われているものでも、その人が制作できる地位を獲得しなければそれは出来なかったし、スポンサーの意向があれば、それをただ受け入れるか、受け入れずに進むのか。受け入れなかったらクビ切られるし。
大きな映画になればなるほど、自分の意思が表現できないものになってしまうだろうし。

ルーカス自身が作ったものを続けられなかった時点で、作品は、終わりです。それをとりあげて、勝手に話を進めて、それをあたかも正史のように扱っても、普通に考えたら話が本当にそれでいいのかを疑ってしまいます。でも、出しちゃった以上、それが正史になります。

これで良かったのかは、本当は、ルーカスの中にしかないのかもしれません。

それば、作品が百人が百人素晴らしいと言ったとしてもです。

逆にエピソード123を批判するのは勝手だけど、本人が作ったものをどうするかは本人の判断ですからそれを受け入れるかどうかは見た人の判断ですが作品そのものになんでケチがつけられるかってことですよね。

ということで、そのルーカスの物語を受け継いだのか、盗り上げたのかはよくわかりませんがその後の結果が出された以上もうそれは取り返しがつかない正史になってしまうわけで、そうなりました。ということでしかないわけです。

ルーカスがどう思ったかでしか、正しい結果だったかどうかは測れない。
ただ、ルーカスの手の中にとどめておけなかったことが結局、この物語をこういう結果にしてしまったのだから、それでストーリーについてとやかく言うのはなんか引っかかる。

そもそも、ストーリーとして、そんなにスターウォーズが優れているとも思えないし。
そんなもの、あーだこーだいうほどの作品か?とも思う。

酔いながら書きなぐってるので、文章破綻してたらすいません。

後で読み返してだめだと思ったら削除します。




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