唐茄子はカボチャ

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天皇の昭和史

2011年02月12日 | 
天皇の昭和史
藤原 彰,伊藤 悟,〓刀 俊洋,吉田 裕
新日本出版社


畏れ多くも天皇陛下について書いてある本です。

「(満州事変前から)日中関係については平和であることを終始願っていました」
「軍司令部が細部まで決定した後に受けていただけ」
「戦争中においてはいろいろの出来事の報告が私に対して全然なされていなかったり、もしくは遅れた時点で知らされたことが多かった」
「(対英米)開戦時には閣議決定があり、私はそれを覆すことはできなかった」
「開戦の時からいつやめるかいつやめるかと、やめる時期をいつも考えていました」
「戦争終結の際、私は自ら決定を下しました」
「戦争の継続は国民に一層の悲惨さをもたらすだけだと考えたためでした」

・・・御名御璽
畏れ多くも天皇陛下の戦後のお言葉です。
軍部の暴走で天皇も巻き込まれていった・・・という筋書きどおりに国民は思い込まされていくわけですね。この本を読むと、戦後も、天皇の「国体護持」は続いていることを感じさせられます。
仮面をかぶったような顔で何を考えているかわからないただの無力な人という自分の勝手な印象でしたが、戦後も政治介入、元首としての形づくり、自衛隊との結びつきなど、かなり能動的(今自分が気に入ってる言葉です)に動いていることがわかります。
結局、天皇自身がもう一度大日本帝国憲法のもとでの絶対主義的天皇制の復活を夢見ていたのでしょう。

あの侵略戦争の責任をあいまいにしたまま今日まで来ているので、結局靖国派は同じ思想のまま、ずっと生きてこられたわけです。

一般常識では考えられないようなことを、今でも本気で思っているんだろうと、あらためて感じました。

最初の畏れ多い天皇の言葉、ここだけでも、おかしいなと思うのは、最後に終戦の決断は自分がしたというところです。なんだかんだ言い訳をつけて、流されたように言っていますが、決断する権力を持っていたという事実がそこにあるわけで、それならば、なぜ、満州事変の時に、その権力を行使しなかったのか、太平洋戦争の時に行使しなかったのか、疑問に思います。そもそも、韓国や台湾の併合とかは、どう思っていたのでしょうか。日本の領土と思っていたのでしょうか。

実際に、天皇はこの侵略戦争にかなり積極的にかかわっていることがこの本でわかります。
上奏と下問によってかなり自分の意思で局面局面をつくっているし、自分が気に入らない人間はあっさり首を切ってるし・・・
ころころ変わる政治家たちと違って、終始一貫して政治にかかわれたのは天皇であることもじゅうようです。かなり、政治的イニシアチブをとれる立場でもあったことも書いていあります。
いろんな局面での、天皇のお言葉が書いてあるので、最初に書いたような無力、無能の天皇像は打ち破られます。
つい最近、この本の前半を読んだあと、友達と話しているときに、自分は、「もう今の天皇が前のような政治的権力を持つことは不可能じゃないか」と言いました。でも、もうひとつの問題、この本の後半部分、戦後の天皇とその周りの動きを見てみると、必ずしもそうではないなと、思いました。
天皇の戦争責任問題がきっちりと解決しない限り、いつでもふつふつとわいて出てくるものだと思いました。完全否定されるべき思想が、生き残っていることをしっかり見なければいけないし、そういう連中は、すきを見て復活をもくろんでいます。
そして、実際の国会の議席も、結構そういう人たちが、まだ幅を利かせているのが現実ですからね。