唐茄子はカボチャ

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ヤコブへの手紙

2011年02月04日 | 好きな映画・良かった映画
ヤコブへの手紙 映画 - goo 映画

ご飯を食べてなくて、ずっとおなかがグーグーなってました。
隣の人には迷惑をかけてしまったと思います。自分にとっても、そのせいで集中できなかったです。

恩赦で出てきたおばさんは、ずっと性格悪いし、年老いた盲目の牧師さんは、ずっといい人だし…
すれ違いの心はずっと最後の方まで、なかなか平行線でしたね。
牧師さんが完璧に誰にでも無償の愛をあたえる神のしもべであった時には、完全に心の壁をつくっていました。
彼女が変化を始めたのは、手紙が来なくなって、牧師さんが急激に衰え始め、神への信頼が揺らいでからのような気がしました。
あれだけ、人に与え続けて来た・・・彼は人に求められていたことが生きがいでもあったはずだけれど、手紙が来なくなったことによって、自分の存在がわからなくなってしまったんでしょうね。
その時、時初めて手紙の存在が、自分が人に与えていたものじゃなくて、みんなが、神が自分に対して与えてくれたものであったことを知るわけです。
同時に、手紙が来なくなったことは、神が自分を必要としなくなった、神は何も自分に与えてくれなくなってしまったわけで、自分自身の存在が見えなくなり、挫折してしまうわけです。

最初は、彼女も勝手に苦悩してろ!って感じだったかもしれませんが、あのタクシーのシーンが印象的でしたが、あそこでいろんな葛藤がでてきて、ついにあそこを離れることができなかった。

わからなかったのは、彼女が死のうとするシーンでした。あそこの心の中がよくわかり安線でした。

そのあとの彼女は、牧師さんを励まそうと、手紙が来たように装いますが、彼女のアドリブでつくった手紙に牧師さんはそれを見抜いてしまいます。牧師さんは席を立とうとします。
彼女はもう一つあると言います。牧師さんは、嘘とわかっていても、一応話は聞こうと、椅子に座りなおします。

そこからは、もう涙涙です。花粉症のせいではありません。
ここから一気になぜ彼女が殺人を犯したのか、恩赦を求めたのは誰だったのか、すべてがつながって、牧師さんと彼女の心がつながるわけですが・・・
一気にここに感動を持っていくために地味に地味にボディーブローを積み重ねて一気にドカーンと大砲を持ってきた感じです。その最初の積み重ねがあればこそ、最後大砲になるわけですね。これは作り方が巧みです。

そして、彼女の告白のあとも、牧師さんは、何を話すわけでもないんですね。あのよろけたときに手をとりあった、あのシーンだけが2人の心のつながりと、2人の心の解放を見せているわけです。せりふで、「あなたは赦される」とか、「あなたの心がわかりました」とか、「私の中にまた神が戻った」とか、余計なセリフをつけようと思えばつけられるシーンですが、そんなものは邪魔なだけですね。なにもお互い語りあってないところがまたいいです。

今考えれば、「恩赦」で出てきたわけだけれど、何が赦されたのかがわからないですよね。心が固く閉ざされているし。映画の最後の、心からの恩赦を受け取ったのでしょう。それは彼女だけじゃなくて、牧師さんもそうだったと思います。
最後のあの加美の許しがなければ、挫折のまま死んでいったはずですから。

単純なストーリー。
単純なだけに、心の動きの深さを感じ取れるお話です。
主要な登場人物が牧師さんと女の人と、郵便配達員の3人というのも良かったと思います。広がらないで、深いところに入っていけます。
いい映画でした。

映画が終わった後、顔じゅうびっしょりでした。涙なのか、鼻水なのか、汗なのか。たぶん、全部でしょうけど。

あと、気になったのが、ハエです。
あれは何か意味があるんでしょうか。