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なんか、救われなさそうで救いがありました。
最後まで、どうなっちゃうんだろうって感じで・・・
娘が殺されます。
「汝の敵を愛せよ」というキリスト教的主題を愛憎とともに描き出したとか書いてあるけれど、小説はどうかわかりませんが、そのことばを建前に、浮気をしていると思われた奥さんへの復讐から、娘をころした男の子どもを育てさせるということを実行したわけです。
その事実を知った奥さんも黙っちゃいません・・・って、黙ってるんですけど、そっちがその気なら、知らぬ顔して育ててやる!なんて思ったわけだけど、やっぱり娘を殺した男の子どもを愛することができなくなって・・・冷たい仕打ちもしてしまいました。
最近、お兄さんの陽子を見る目が兄のそれとは違って、異性を見つめる目になっているという話から・・なんだかんだあって、何で洋子を本当のこのように愛さないのかと責める旦那に、妻は殺人犯の子どもだと知っていることを言い、なんでそのようなひどい仕打ちをしたのかと逆に責めます。そして旦那はおまえが浮気したんじゃないか!と言い争い・・・それを見ていた息子さん。「大人は不潔だ!」ってなって、「陽子はおれが守ってやる!」となるわけです。
ところがお話はこれからが本番で、兄の友達、北原さんが登場。陽子もちょっと恋心を持って、おたがい気になる存在になるわけですが、それを邪魔するお母さん!そしてお兄さんの告白。北原さんとの再会。そして・・・母親の陽子への復讐(?)
陽子さんは自分の「罪」に気付き、自ら命を絶とうとします。
そこからまたどんでん返しがまっています。
人の罪ってなんだろう・・・って思いました。
人を殺した殺人犯は当然罪人です。その子どもは罪があるのでしょうか。陽子さんはたとえ私が殺人犯のこでなかったとしても、ずっと先の祖先をたどれば、誰かが罪を犯しているから、どっちにしろ同じ罪人なわけです。罪がないとまっすぐに生きてきた自分の「罪」に気付いたみたいなんです。納得できない話なんだけど、塩狩峠を読んだあとだからかもしれませんが、なんとなく、「なるほど・・」という感じもあって。
この感覚はなんでしょう。
罪・・・といった場合の考え方がなんとなく違うんです・・・違和感を感じます。悪い意味じゃなくて、違う思考回路とであったと言うか、考え方、組み立て方がもう違うんじゃないか?という感覚もあります。
人間は罪人であることが前提としてあって、その罪を背負って生きていく・・・というより、罪は、逃れることができない物で、それを克服するために、人間の感情とか、欲望とかを理性で押さえつけて凍結させるというか・・・・
・・・何を言ってるのかわかりませんね。
・・・というより、映画の話と違う話になってますね。
でも、何か言葉の端々に、塩狩峠のテーマだったものが見え隠れしていると言うか・・・
まあ、原作者がそうだからというのもありかもしれませんが・・・
もう、ごちゃごちゃ言うのはやめましょう。
もう、思考停止してきたし・・・
最後です。どのような罪人でも人間なんだと思いました。