唐茄子はカボチャ

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イラク米軍脱走兵、真実の告発/ジョシュア・キー

2008年10月11日 | 
イラク米軍脱走兵、真実の告発
ジョシュア・キー
合同出版

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題名のとおり、イラクの作戦に参加して、アメリカの軍隊から脱走した人の話です。
半分ぐらいまでしかまだ読んでいないので、脱走したエピソードはまだ出てこないので、どういう状況でそうなったのかはまだわかりません。

最初はまず、本人の生い立ち、成長過程の話です。たまに軍隊のことが1~2行出てくるだけで、本当に彼の生い立ちが書かれていて、最初は退屈でした。
しかし、少しずつその生活の状況がボディーブローのようにきいてきて、「アメリカ的考え方とか、戦争に対する考え方とかが日常の生活の中でつくられてきてるのか!」とふと考えました。
社会的な貧困、銃を自由に扱える環境がそこにはあって、アメリカは「神の国」的な幻想も普段からつくられているんですねえ・・・

そして、軍隊にはいるときも、絶対戦地には行かない。という確認を何度もして、甘い言葉でたくみに入隊させて、入ってみたら、地獄が待っていて、それに対する不服を言ったら、それでにらまれていじめにあい、上官に逆らったらわざと「仲間」にいじめさせて・・・
考えること自体がそこではしてはいけないところになっています。
敵・・・アラブ人=イスラム=テロリストと叩き込まれ、それが当たり前の考えにさせられます。アジア人も同じです。

同じ人間だと思ったら殺せなくなるのです。だから、人間以下のものであると叩き込まれるわけです。

入隊して失敗したと思っていた彼も、そこで目を付けられないように、みんなに一目置かれるように・・・と、その軍隊の図式に自分をはめ込んでいくわけです。そうでないと、ここでは生き残れないんですねえ・・・

それでも、派兵はされないだろうと、まだ希望を持っていたわけですが・・・イラクへ派兵されます。

そして、テロリストを見つけ出す名目で民家を夜中に襲って150センチ以上の男を取り押さえ、金品を盗んで、暴力も振るって・・・そんなことを続けていきます。

イラクの人たちのアメリカ軍に対するまなざしは、最初の歓迎ムードから一変、憎しみのまなざしに変わっていきます。そして、いつ殺されるかわからない・・・どこに敵がいるかわからない恐怖、睡眠時間も無い状況で、次第に判断も鈍ってきて・・・恐怖の矛先をイラク市民にぶつけていき・・・さらにイラクの人たちはアメリカに対して憎しみを深めていきます。

「ミスター、フード」といって、食べ物を求める少女のエピソードは、そんな中での心休まるエピソードと思いきや、その結末は・・・!これが現実です。アメリカの「自由」とか「民主主義」の建前で始まった戦争の現実がここにあります。
検問所で、停止する場所を知らなかったために銃で蜂の巣にされて殺された人や、行軍をじゃましたためにランボーの映画のワンシーンのように、戦車につぶされた人、イラクの人の首をサッカーのボールにして喜んでいた兵士。あの家の中にいた女性に何をしたのか・・・検問所の13歳の女の子が何をされたのか・・・いろんな出来事がアメリカの仕掛けたイラク戦争がイラクの人たちに何をもたらしたのか。リアルに伝わってきます。

この作者のキーさんが、正しいと思っていた全てのことが、現実の行いによって全て消え去ってしまいます。

本を読んで寝たときに、うなされて叫んで飛び起きる夢を見ました。自分が叫んで実際に叫んで飛び起きたんじゃなくて、それを第3者として見ている夢です。うなされていたのは自分だったのか・・・他の兵士だったのか・・・いずれにしても、そんな夢を見てしまうほど、自分にとって、この現実はショックだったのだと思います。

同時に、この本を「おもしろい」と感じた部分は、そういう自分の良心的なものが響いた結果だけなのかは分かりません。

何が言いたいのかと言うと、そういう行為をしていることを想像するときに、どこか興奮している自分がいたのではないかとも思ったのです。うまくはいえませんが、作者のように実際に体験をした人は振り返ることもつらい本当に厳しい精神状態になるのだろうけれど、自分が読んで想像する中では、それが当然、現実より弱まってしまうし・・・戦争賛美のハリウッド映画の映像なんかが想像するときの材料になるわけだし、そういう映画を見ているときは、戦闘中にテキパキ動く人はやっぱり「かっこいい」と思って見ているわけだし・・・だから、理性的に戦争を反対したり、イラクの現実はこうだと言っている自分と、戦闘シーンをかっこよくとらえている感覚的な自分とがいるというのか・・・・

まあ・・・それはいいや。

キーさんは、休暇で一時帰国、そのとき、カナダへ逃げることになります。
キーさんは被害者です。同時に加害者でもあります。
国や軍隊に自分の人生をぐちゃぐちゃにされた被害者だと訴えたくて、この本を書いたのではなくて、同時に、(マジで同時にが好きね)状況がどうあれ、その犯罪を自らが行ってきた事に対する謝罪と反省もあります。自分の犯してしまった罪を背負って生きていかなければなりません。

そして、自分の体験を通じて、アメリカのしているイラク占領が何の大義もなく、ただの犯罪行為であることを告発しています。

この本を読むと、アメリカって、昔の時代劇とか西部劇なんかに登場する悪者みたいで、奪い、壊し、犯し、殺す。弱いものを武力による脅して押さえつけ手いるだけなんだなあ・・・と・・・そんな感じがしました。

アメリカの言う自由は、「アメリカのやり放題」と言う意味のようです。
民主主義といいますが、民主主義を捨て去った軍隊の支配が、民主主義をもたらすはずがないですもんね。

色々勉強になりました。


ネットで、「ジョシュア・キー」、「現状」で検索したら、赤旗にヒットしました。以下、本にも訳者の追記で載っていたカナダでの難民申請のことをかいた記事です。


2008年7月10日(木)「しんぶん赤旗」

戦争拒否米兵の難民申請
カナダ政府の棄却に
連邦裁が再検討指示

 カナダの連邦裁判所は四日、イラク従軍を拒否してカナダに逃れた米兵の難民申請を棄却した政府機関に対し、再検討を命じる判決を下しました。イラク従軍拒否の米兵の訴えをカナダの裁判所が支持したのは初めて。支援者は「画期的」と歓迎しています。(ワシントン=鎌塚由美)

 難民申請していたのはイラク従軍後、家族とカナダに逃れていた米陸軍一等兵のジョシュア・キー氏(30)。同氏は、イラクで従事した軍事行動がジュネーブ条約の禁じた「個人の尊厳に対する侵害、特に、侮辱的で体面を汚す待遇」や「不法な監禁」であり、それを拒否するためにカナダに逃れたとして、難民として認めるよう求めていました。

 難民認定を行う「移民難民委員会」は、同氏が上官から命じられた行為がジュネーブ条約違反であることは認定。しかし難民申請には、命じられた行為が「戦争犯罪」に当たる深刻なものでなくてはならず同氏の場合は該当しない、として難民申請を棄却しました。

 これに対して連邦裁は、ジュネーブ条約違反行為は、難民認定を主張する根拠となると判断。移民難民委員会は「法的基準を過度に制限することで誤りを犯した」と結論づけました。

 トロントで戦争拒否の米兵支援活動を行っているリー・ザスロフスキー氏はメディアに対し、「画期的な判決」と歓迎を表明。キー氏の弁護人ジェフリー・ハウス氏は、判決は「良心的兵役拒否を行う権利の解釈を広げた」ものだと述べました。

 現在カナダには、良心的兵役拒否者を含む約二百人の米兵が滞在しているといわれますが、難民として認められた事例はまだありません。

 カナダ議会下院は六月三日、戦争を拒否しカナダに逃れる米兵に滞在許可を与えるよう、政府に求める決議を可決していました。