唐茄子はカボチャ

映画と音楽と・・・

陸に上がった軍艦

2007年08月26日 | 映画 あ行
新藤兼人さんの戦争体験を新藤さん本人の証言も入れながら語られていきます。
観ながら、ドラマのところだけで見たかったな・・・という気持ちもありました。もともとそういう映画だと思っていたので、いきなりドキュメントみたいに始まったのにちょっと戸惑ったのもありました。ドラマの部分が面白かったのもあります。
でも、観終わってからは、証言があったからこそ新藤さんの実体験として、そのときに何を感じたのかとかも話してくれ、よりリアルさがましたとも思います。
もともとは、全編ドラマで新藤さんが監督でやる予定だったようですが、予算がなくてずっとできなくていたようです。それをそのままにはできないというんで、今回の作品になったようです。もともと低予算の映画なので、今回のようなドラマの部分に証言を入れて安上がりに仕上げたようです。

しごかれて、直心棒でたたかれ・・・延々と続く苦痛の中でもともと人間がもっている疑問とか、こうあるべき自分というものをすべて頭のなかから眠り込まされるまでそれが続き・・・・そして、大日本帝国の兵士が出来上がります。最近の映画によく出てくる心や表現の自由度はまったく無い世界です。ただ、何も考えずに上官の命令に従う。それだけが兵士の役割なのでしょう。
「直心棒」=「海軍精神注入棒」というのはまさに兵士としての精神を叩き込むものだったのだと思います。それは罰としてたたくとかいう特殊なものではなく、それ自体が軍人をつくり上げる過程のために必要なのだと思いました。

木で作った戦車に木で作った爆弾で戦車をやっつける訓練とか、靴を後ろ向きに履いて動く訓練とか、普通に考えたらばかばかしくてできないようなことをやらされている姿は滑稽で思わず笑ってしまうシーンです。友だちとその話をしていた時に、軍隊一般ではなく、あの時の日本軍の程度の低さでもあるんだろうと言っていましたが、確かにそのとおりだと思いました。あれをみながら、自分は、神風特攻隊や回天の話を思い出しました。あんなことをやってアメリカに勝てるかどうかなんて普通に考えればわかることなのに、それを大まじめに誰かが考えてそれが採用されて・・・その犠牲になって人が死ぬんだからたまったものじゃない。
結局これが「美しい国」のなれの果てなのだと思いました。
だから、「美しい国」を目指す人たちは特攻のような無駄死にを美しく描き出し、意味のあるものにしようとしているのでしょう。
無駄な作戦で命を落としていった人に意味を与えるのならば、二度とそのような過ちを繰り返さない。これに尽きると思うんですけどね。

戦争の中に燃え上がる夫婦の話はすごい。旗から見たらあきれ返るほど身体を求め合うわけですけど、そのエネルギーがすごい。抱き合ってる姿は生々しくて汗がにおいそう・・・(いい意味でですよ)。廊下に食べずに残されたスイカが美しい・・・芸術だと思いました。
最近は「愛する人のため」という軽い言葉で戦争を正当化しているような作品もありますが、これを見ればはっきりと、戦争が愛を引き裂くものだと言うことがよくわかります。今日はお祭りですが、あなたのいないでは何の風情もない・・・とかいう手紙は美しいですね。

あと、空襲についてはとても考えさせられました。
いままで、空襲を題材にした映画とか、資料展を見たり、証言を聞いたりしていて、戦争で空襲があったことを普通に当り前にとらえていました。戦争なんだから「しかたがない」とまでは言わないけれども、戦争の作戦の一つぐらいに思っていました。
今回「あれ?」と思ったのは、空襲という行為は明らかに非戦闘員・・・住民を狙って行なわれるもので、非人道的な行為であって、たとえ戦争であっても、空襲はいけないのかな?と思ったのです。いや、これはなんともいえないんですけど・・・

天皇のラジオ放送が雑音で何を言っているのか聞こえなかったと言うのも笑えます。ラジオが最初の情報というのはどの当たりまでそうだったんでしょうか。つまり、その放送前に知りえた人ってどれぐらいいたんでしょうかね。
雑音がなくても何を言ってるのか和からなそう・・・とも思いました。

感動作というよりは、考えさせられる映画でした。記録映画としてもとても大事な作品になるのではないでしょうか。