唐茄子はカボチャ

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カジュアリティーズ

2007年08月03日 | 映画 か行
カジュアリティーズ

ソニー・ピクチャーズエンタテインメント

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ベトナム戦争の話。
アメリカの兵士が村の女性を拉致してレイプし、殺してしまいます。

エリクソンは、ベトナムを救いにきたと、この戦争を正義の戦争と思ってやってきたのですが、この戦争の現実を見るわけですが・・・

この戦争が正しかったか正しくなかったかという大義はとりあえず置いておいて、生きるか死ぬかのぎりぎりの状況で、人としての正しい道を選択できるのか、問われるわけです。

エリクソンは、抗議もしたし、その行動に参加しなかった。それは正しい行動です。ただ、それを止めることができなかったのは、やはり、軍隊の組織にいる人間には、それが精一杯の抵抗だったのでしょう。・・・この行動に出ることができるだけでも、すごいことだと思いますが、それこそ生きてかえれなくなってしまうのではないでしょうかね。

彼も結局助けられなかったという点では、本当に正義を貫けなかったわけで、そこに苦悩があるんでしょうが・・・たしかに、一緒に逃げるチャンスは何度かあったし、止める手段も無くは無かったのだと思いますが、じゃあ、それをしたらそのあと、彼はどうなるのか。ということですね。

戦争の中で、生き抜くためには助け合わなければいけない「仲間」の反感を買うというのは、死を意味するのだと思います。拒否したら、助けてくれなくなる。という不安で、言われるがままにレイプに参加した人もいましたがそれもわかります。

ある意味、殺せば殺すほど英雄になる戦争の中で、ベトナムの女性を一人を殺したことが殺人になるというのも矛盾した話で、この境界線はなんなのか。ベトコンが村に潜んでいる状況の中で、現場の兵士にとってはみんなが敵に見えるし、その敵の女の一人や二人、どうしようがそんなの関係ないじゃないか。という心理がはたらくのもわからなくもない。

ようは、戦争という行為そのものが、「人間性」と対極にあるのだと思います。

裁判の尋問(?)で、「あなたはレイプして殺したことをなんとも思わないのか!」とかなんとか、怒鳴っている人いましたけど、アメリカがおこした戦争自体を正義としておいて、この小さな出来事で人の道をいわれても・・・