唐茄子はカボチャ

映画と音楽と・・・

カポーティ

2007年08月09日 | 映画 か行
カポーティ コレクターズ・エディション

ソニー・ピクチャーズエンタテインメント

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なんか、暗い重々しい映画です。そしたら、実話だったんです。余計重いじゃないですか。

殺人事件を追ってドキュメンタリー小説を書く作家の話ですが、犯人には友人のように接しながらも、心の中は、本を書くことだけしかなくて、そのために、心を利用して行くわけです。

守るようにみせといて、題名は「冷血」まさに、筆者自身が執筆のために冷血になっていたわけです。

犯人との関係も、友人のまま真実がばれないまま絞首刑になって、本もうれて、名声を得るという構想が、刑期の延長によって狂ってしまうわけです。そして、自分のしていることもその人にばれてしまって・・・早く刑が執行されないかとそればっかりをのぞむようになり・・・

しかし、さいご、刑が執行される時にそのあやまちにきづいたのでしょうか。
そのどうにもならない時になってはじめて、彼を救いたいと思ったのかもしれません。いや、彼を救いたいんじゃなくて、自分が救われたかったのでしょう。でも、ときすでにおそしです。彼にしてしまった過ちと彼の死を背負って・・・・その「冷血」の執筆以後は完成作品は無いんだとか。そして、アルコール中毒で死んでしまったそうです。自分の行動が自分の人生を壊してしまったんでしょうねえ・・・・

ああ・・・長かった・・・暗くなる・・・・

そう。相手を信用させる時に、彼は自分の事実を言うわけです。彼は心を開いて自分のことを話してくれていると思わせるわけですが、それ自体が手法なんです。
それで信頼を寄せてくれた人を次の瞬間あざ笑うことができちゃう悪いやつです。

最後の絞首刑の時に言い残したことはというところで「何を言おうかわからなくなった」みたいにいうセリフ。彼は自分の日記で晴の舞台での自分のスピーチの時の原稿を用意していた時のセリフと同じなのですが、その意識とは関係なくつい出てきた言葉が一致しているところがここのミソですね。

しかし・・・・冷血を描いた冷血男を描いた映画をつくった人も冷血?今度はその映画をつくった人を描いた物語ができるかも。