初雪以来、寒い日が続いています。
今日も夜、仕事をしていたら、7時過ぎにものすごい音を立てて霰が降りました。
外へ出てみると、直径1センチくらいはあったでしょうか。かなり大きな霰の粒が落ちていました。
車のタイヤはまだノーマルだし、ちょっと帰りが少し心配でしたが、帰る頃には道路の霰は半ば消えていました。
お天気の回復が待たれる今日この頃です。
昨日、「係り結び」の説明をしていたら、ある生徒から、「こそ」の結びは已然形でなく命令形だと学校の先生が言っていたが、と質問されました。
「係り結び」というのは、「ぞ、なむ、や、か、こそ」が文中に用いられた時、結びが終止形でなく「ぞ、なむ、や、か」の時は連体形、「こそ」のときは已然形で結ばれるという、受験では注意を要する文法です。
時代が下るとこの法則もかなりいい加減にはなるのですが、「こそ」の結びが命令形というのは聞いたことがない。ひょっとして新説?と思い、その説は聞いたことがないので、おそらくどの参考書類を見ても「こそ―已然形」のはずだから、一般的な説に従っておきましょう、とその場は何とかごまかしたものの、どうも気になってしかたがない。
今日は市民大学院で、K大の先生にお会いしたので、よい機会と思い、聞いてみました。とっさのことだったので、あとで回答します、とのお返事で、夕方、メールにて回答をいただきました。
国語学の先生にも尋ねてみたところ、「こそ」の結びが命令形という「新説(!?)」は、学会の方にもない、とのこと。
これで一安心です。万が一「新説」であったら、こちらの認識も変えなければなりませんでしたから。
先生のメールの中でも指摘されていたことですが、已然形と命令形の形の違う用言(動詞の場合、四段活用以外は已然形と命令形は形が違います。)の用例で見てみると、「こそ」の結びは必ず已然形の形を取っています。たとえば、百人一首のこの歌、
音に聞く高師浜のあだ波はかけじやそでの濡れもこそすれ
「こそ」の結びが命令形なら、サ変動詞なので最後は「すれ」ではなく「せよ」になるはずですが、これは明らかに已然形です。
また、過去の助動詞「き」「けり」は、よく係り結びとのカラミで出題される言葉ですが、「(せ) ○ き し しか ○」「(けら) ○ けり ける けれ ○」で、いずれも命令形はありません。
もっと深く言うなら、なぜ係り結びが行なわれるのか、という国語学的な説明が必要なのでしょうが、そこまで追究する暇はないので、用例だけでよしとしましょう。
それにしても、こちらもとっさには答えられなかったものの、こういうことを平気で教えてしまう先生って・・・
今日も夜、仕事をしていたら、7時過ぎにものすごい音を立てて霰が降りました。
外へ出てみると、直径1センチくらいはあったでしょうか。かなり大きな霰の粒が落ちていました。
車のタイヤはまだノーマルだし、ちょっと帰りが少し心配でしたが、帰る頃には道路の霰は半ば消えていました。
お天気の回復が待たれる今日この頃です。
昨日、「係り結び」の説明をしていたら、ある生徒から、「こそ」の結びは已然形でなく命令形だと学校の先生が言っていたが、と質問されました。
「係り結び」というのは、「ぞ、なむ、や、か、こそ」が文中に用いられた時、結びが終止形でなく「ぞ、なむ、や、か」の時は連体形、「こそ」のときは已然形で結ばれるという、受験では注意を要する文法です。
時代が下るとこの法則もかなりいい加減にはなるのですが、「こそ」の結びが命令形というのは聞いたことがない。ひょっとして新説?と思い、その説は聞いたことがないので、おそらくどの参考書類を見ても「こそ―已然形」のはずだから、一般的な説に従っておきましょう、とその場は何とかごまかしたものの、どうも気になってしかたがない。
今日は市民大学院で、K大の先生にお会いしたので、よい機会と思い、聞いてみました。とっさのことだったので、あとで回答します、とのお返事で、夕方、メールにて回答をいただきました。
国語学の先生にも尋ねてみたところ、「こそ」の結びが命令形という「新説(!?)」は、学会の方にもない、とのこと。
これで一安心です。万が一「新説」であったら、こちらの認識も変えなければなりませんでしたから。
先生のメールの中でも指摘されていたことですが、已然形と命令形の形の違う用言(動詞の場合、四段活用以外は已然形と命令形は形が違います。)の用例で見てみると、「こそ」の結びは必ず已然形の形を取っています。たとえば、百人一首のこの歌、
音に聞く高師浜のあだ波はかけじやそでの濡れもこそすれ
「こそ」の結びが命令形なら、サ変動詞なので最後は「すれ」ではなく「せよ」になるはずですが、これは明らかに已然形です。
また、過去の助動詞「き」「けり」は、よく係り結びとのカラミで出題される言葉ですが、「(せ) ○ き し しか ○」「(けら) ○ けり ける けれ ○」で、いずれも命令形はありません。
もっと深く言うなら、なぜ係り結びが行なわれるのか、という国語学的な説明が必要なのでしょうが、そこまで追究する暇はないので、用例だけでよしとしましょう。
それにしても、こちらもとっさには答えられなかったものの、こういうことを平気で教えてしまう先生って・・・
この歌、とても繊細ですよね。
謙信の内面をちらりと垣間見れるような気がします。
>先生がそう教えたらそのまま覚えてしまったかも・・・
そうですよね。得意分野なら「違うんじゃないの?」ということでも、苦手分野だったりするとそのまま鵜呑みにしてしまう可能性もありますね。
昨夜は雨が降りましたが、今は典型的な関東の冬空です。
謙信の和歌「つらかりし 人こそあらめ・・・」を思い出しました。「祈恋」という意味深な題がついていますが(^^;
私は古文の文法が苦手だったので、先生がそう教えたらそのまま覚えてしまったかも・・・ちょっと心配ですね。
その先生の「新説」なのかもしれません。
高校二年生のときに、古典の文法の試験を三回目の追試で合格した私が言えるギリではないですが。
生徒達の勘違いもあるのかもしれませんが。
>「嘘つけ」
なるほど。「嘘つけ」は命令の言い方ではないですから、ひょっとして係り結びの面影が現在に残っている数少ない例なのかもしれませんね。
ちなみに「嘘つけ」は「嘘こそつけ」が省略されたものだ、という意見がありますがどうなんでしょうね。真偽はともあれなかなか面白い意見だと思います(^^)。