ドリーム 2(セカンド)

長坂徳久が語る夢教育(ときどき日常)

喝!

2011年05月01日 06時40分45秒 | 教育・指導法
全中女子団体メンバーも稽古後にミーティングをしました。


「手首に髪止めのゴムなどをつけることは禁止。」


「話は顔を見て聞く。」


「みんなちょっと天狗になってるところがあるね?」

「先生にも甘えてるよね?長坂先生なら許してくれると思ってることかま多くなってきているやろ?」


「いまの自分自身にかけていることはなんや?」


「気持ちです。」


「どんな気持ちや?」


「うーん…」


「追い込まれ感がない。」

「気持ちはあるけど行動が伴っていない。」


「当たり前のことができていない。」


「メリハリが足らない。」

「そうやって自分自身を考えることができているのはいいことだ。」


「じゃあ、去年日本一になって、いま何が残っている?」


「嬉しい気持ち」


「…」


「…」


「…」


「…」


「やってきた稽古のこと」

「まだ1年前やのに、感情って薄くなっていくね。でも、やってきた稽古やみんなで取り組んだことは君たちの頭と心と体にずっと残っていきます。
歳をとったときに日本一になったことが自慢にしか残っていないならそれはちょっと寂しいね。
大切なのは10年後、20年後に、君たちがどんな生き方をしているかです。先生はそのことを考えて指導をしている。そのことしか考えていません。
結果への気持ちは刹那的なものです。ずっと残るのは、何をしてきたのか?です。少なくとも少林寺拳法はそういうことです。演武と共に自分自身が成長できる稽古への取り組み方を明日からまたやっていかないか?」


競技大会は刃物と一緒。取り組み方次第では、自己の向上に繋がるが、本質を取り違えるとその刃物で自己を傷つける(自意識過剰・優越感)ものにしかならない。


うちの中学生たちは、自己を見つめるということができる。だから、こちらが真剣に語れば真剣に聞いてくれる。

お寺の和尚さん

2011年05月01日 06時05分44秒 | 教育・指導法
中学生は本当に教えがいがあります。


理論や趣意を理解できるからです。


確か、千葉周作が「技より入るは上達遅し、理より入るは上達早し」と言っていたと思います。


技や演武の理もありますが、少林寺拳法とは? ということを絡めて、思想と技の中に思想が内在していることを話して、通じるのが中学生(中1にはまだ難しいかもですが)


今日話したことは


「少林寺拳法はスポーツではない。」


「修行である。」


「大会というのは少林寺拳法のなかの20%ぐらいのものである。大会が全てになっては少林寺拳法ではない。」


そして、


「学校は先生と生徒。でも少林寺拳法は違いますね。何ですか?」


「拳士と先生」


「なるほど。ほかには?」

「師匠と弟子」


「そうですね。これをわかりやすくいうと、お寺の和尚さんと小坊主さんです。一休さん知ってる?」


「知ってる」


「♪とんちんかんの一休さんな。」


「えっ、それは知らない」

「まあ、マンガの一休さんのイメージや。和尚さんと小坊主さんな。」


ちょうどいい機会だったので、
中1だけ集めて話をした。(かなり説教ぽくなった。)

「まだ少年部の気持ちでいてないか?」


「その初段の袖章は少年部のやから、家で外しておいで。そのときに少年部から一般部になる気持ちも切り替えるんだ。」


「中学生は勉強も部活もあって忙しいし、大変なこともあるから、まず一年間がんばって少林寺拳法も続けたらいい。そのあとはまたそのときに考えたらいい。一般部になったから、稽古も自分で時間をつくるということを考えていきなさい。」


5月が中1には踏ん張りどころです。部活も本格化してきて、体力的に気力的に疲れてくるときだから。


同時に成長の時期でもあります。

なぜかわかったこと

2011年05月01日 05時35分28秒 | 教育・指導法
今日は朝から仕事でした。一時までだったので、その後家に帰り昼寝していました。


そういえば、そのときに「高野山 奥の院」の夢を見たのを思い出しました。


その後(今夜)、高野山のお坊さんの本を読んだので、ちょっとびっくりしました。


7時~8時 少林寺拳法
小学生自由参加。中学生以上通常稽古。


作務→ドッヂビー→少林寺拳法すごろく(基本編、トレーニング編)→組演武(級表を使って)→作務


最近、やっとわかったことは、表を使った練習だとなぜ子どもたちが生き生きと自主的に取り組むのか??ということです。


「やることがはっきりわかるから」


「色を塗ったり、シールを貼れるから」


「うまくなっていく実感があるから」


「指導者も教える観点や評価の基準がはっきりする」

このように考えていました。


しかし、シールがそんなに嬉しいわけでもないであろう中学生や高校生でも嬉々として取り組みます。


???


気づきました。


それは、表で進むということが


「ゲーム」


になっているのだということを。


そこでつながったのが、


D・カーネギ-も「人を動かす」の中で、そのことを書いています。


また、「○」「×」と評定したり、「3点アウト」「7点合格」などと評定するのも子どもたちにはゲーム感覚になっているのだと思いました。


個別評定で、先生に「○」と言われるか「×」と言われるか、何点と言われるのだろうか…これは全部ゲーム感覚になれるのでしょう。


但し、評定する指導者に教育技術と技能がないと、間違いなく失敗するのだとも再確認できました。


×・×・ダメ・不合格だけではゲーム感覚もなくなってしまう。


これは仕事の『ノルマ』と同じでしょう。


ノルマもゲーム感覚でやれるならモチベーションアップになりますが、それをこなさなくてはとなっているノルマだと苦しくなるでしょう。


貴重な気づきをもらったので今日も幸せでした。

なんと高野山

2011年05月01日 05時00分17秒 | 教育・指導法
読了


【つらい時は「やってらんな~い」て叫べばいいのよ】


高野山真言宗阿闍梨
水無昭善 著


宝島社


『「修行大好き~♪」高僧、阿闍梨なのにオネエ!人気急上昇中の昭善さんの幸せ説法!』


『「笑っていいとも!」にオネエすぎるお坊さんとして出演し話題沸騰!』


長坂「タイトルに惹かれて買ったのですが…オネエキャラのお坊さんと知ってびっくり!しかも、わが地元高野山の阿闍梨とは(^^ゞ女性向けに書かれた本なので、女性にはおすすめかも。」

邂逅編

2011年05月01日 04時15分47秒 | 教育・指導法
読了


【幕末志士の恋愛事情】


三冬千裕著


文芸社


『あの大人気携帯恋愛ゲーム「幕末志士の恋愛事情」がついにノベライズ化!』

長坂「ゲームはしないので元の話がわかりません。が、恋愛事情どうのこうののストーリーよりも、歴史的なストーリーにちょっとわくわくしました。そして、もっとちゃんと歴史を勉強したいなぁと思いました!」

二つの道

2011年05月01日 02時09分17秒 | 教育・指導法
『超訳 ブッダの言葉』(いまから読もうとしたこの本)をパッと開いたら、この言葉に出会った。


『二つの道』


ひとつの道は、みみっちい利益と名声を追い求める寂しい道。


もうひとつの道は、心の安らぎに至る真理の道。


私の生徒であろうとするならば、


世間の評価や名声など放っておいて、


孤独の中に自分の内面を探求するように。


(法句経75)



ブッダを学ぶことで、少林寺拳法が本当に金剛禅大切にする意味がわかる。