ドリーム 2(セカンド)

長坂徳久が語る夢教育(ときどき日常)

なぜかわかったこと

2011年05月01日 05時35分28秒 | 教育・指導法
今日は朝から仕事でした。一時までだったので、その後家に帰り昼寝していました。


そういえば、そのときに「高野山 奥の院」の夢を見たのを思い出しました。


その後(今夜)、高野山のお坊さんの本を読んだので、ちょっとびっくりしました。


7時~8時 少林寺拳法
小学生自由参加。中学生以上通常稽古。


作務→ドッヂビー→少林寺拳法すごろく(基本編、トレーニング編)→組演武(級表を使って)→作務


最近、やっとわかったことは、表を使った練習だとなぜ子どもたちが生き生きと自主的に取り組むのか??ということです。


「やることがはっきりわかるから」


「色を塗ったり、シールを貼れるから」


「うまくなっていく実感があるから」


「指導者も教える観点や評価の基準がはっきりする」

このように考えていました。


しかし、シールがそんなに嬉しいわけでもないであろう中学生や高校生でも嬉々として取り組みます。


???


気づきました。


それは、表で進むということが


「ゲーム」


になっているのだということを。


そこでつながったのが、


D・カーネギ-も「人を動かす」の中で、そのことを書いています。


また、「○」「×」と評定したり、「3点アウト」「7点合格」などと評定するのも子どもたちにはゲーム感覚になっているのだと思いました。


個別評定で、先生に「○」と言われるか「×」と言われるか、何点と言われるのだろうか…これは全部ゲーム感覚になれるのでしょう。


但し、評定する指導者に教育技術と技能がないと、間違いなく失敗するのだとも再確認できました。


×・×・ダメ・不合格だけではゲーム感覚もなくなってしまう。


これは仕事の『ノルマ』と同じでしょう。


ノルマもゲーム感覚でやれるならモチベーションアップになりますが、それをこなさなくてはとなっているノルマだと苦しくなるでしょう。


貴重な気づきをもらったので今日も幸せでした。

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