ドリーム 2(セカンド)

長坂徳久が語る夢教育(ときどき日常)

謙さんへ

2011年05月03日 22時18分59秒 | 教育・指導法
中2女子です。
撮影した携帯が古いためか速度がかなり落ちて写っています。
別の携帯でも撮ってみたのですが、うまく転送できません。
とりあえず、遅いのをアップしてみます。


以上、謙さんへ。

3→1→0

2011年05月03日 07時00分44秒 | 教育・指導法
日曜日の中学生、高校生の稽古でのこと。18人出席。

受身の稽古でのこと。


ちなみに、中学生にもちゃんとやらせる指示は


「前受身をやりなさい。」

ではなく


「前受身を左右五回ずつやった人から座りなさい。」

どれぐらいするのを具体的に指示さえすればきちんと取り組みます。


さて、飛び込み前受身をさせていた。

まずは人を飛び越す。


次に、「座机」をおいて、これを越えることができたらサーキットを3セット→1セットしたるよ!


サーキットがそんなにイヤなのだろう(笑)
みんなチャレンジした。


三人を除いてみんなぽんぽん飛び越す。(前受身)


一人だけは


「あ~こわい!」


「ちょっと先生、あかんってこれ!」


「大丈夫やって、いけるいける」


となかなか気持ちが踏み込めないようだ。


約10分後にやっと飛んだ。

その10分間を待ってくれる他のケンシたちも立派。


「じゃあ、次に、このイス(パイプイス)を飛び越えることができたら今日のサーキットは0(なし)にしてやるよ。」


長坂がやって見せる。


「どう?やってみる?」


みんなチャレンジするようだ。


何度か躊躇しながらも、チャレンジした子たちはなんとかクリア(これはなかなかよくやったと思う)


一度チャレンジしたら、それは自分自身の限界を超えることになる。


はじめの一歩 だ。


「ここまてできたら、普通の長机も飛び越えできそうやな。今度やってみようか。」

これって(>_<)

2011年05月03日 06時22分27秒 | 教育・指導法
連休中ですが、昨日も通常稽古。


大会前のため演武指導。


今日は「表現度」を全体指導しようと思いました。


ホワイトボードマジック7本をランダムに渡します。

「えんぶ」


って漢字で書いてごらん。


高学年は


「演武」


と書いていました。


低学年は書けません。


わからなかったらひらがなでいいよ。


演武ですね。


でも、他にも「えんぶ」って漢字が書ける人?


はい! はい!(六年生)


「演部」


なるほど、子どもにはこの間違いも多いね~


これって意味が通じないやろ?


部を演じるってよくわからないよね。


他には?


まうって書くんちゃうん?

そう、書いてご覧。


漢字がわかれへん。


長坂が板書。


「演舞」


少林寺拳法は「演舞」ではないのです。「演武」です。


ここで武的要素の話をした。(割愛)


「演」がつく漢字にはどんなのがありますか?


演説


演技


演劇


演出


などと出た。


少林寺拳法の演武は「武」を表現するということです。


うまくするための方法を今日は三つやります。


1、○○○


2、○○○


3、○○○


実際はいろいろな答えが出たが…正解だけ書きます。

1、きあい


2、まげる(構えのとき)


3、とまる(構成間)


この三つをいっぺんにやったほうがいいですか?


一つずつ練習したほうがいいですか?


「一つずつ」


そうだね!


これを 一時に一事 と言います。


たとえば、勉強するとき、ちょっと漢字をやって、次に計算をする、そしてまたすぐに漢字、→計算
(大げさに演技をつけて)


こうやってもあまり賢くならないね。


「先生、そんなやつおらんやろ?」


と子どもたち(笑)


まぁ、そうやね(笑)


ということで、一時に一事で練習。


それにしても



これって


「演」武だよな~


と自己嫌悪感。


大会演武と割り切ってやらせるが、


子どもたちには


「これは大会のための演武」


とかは言いたくないし、それを言うと


「勝つため(勝敗)のための演武を教える」


ということになってしまう。


少林寺拳法の修練体系の一つとしての整合性のある演武指導をしていきたいと思いました。

君よ、君自身から

2011年05月03日 05時28分36秒 | 教育・指導法
読了


【超訳 ブッダの言葉】


小池龍之介 編訳


ディスカヴァ



『君よ、君自身から自由になるために。』


「いまも新しい釈迦の2500年前の教え。それは認知科学であり心理学であり、きわめて実践的な心のトレーニングメソッドである。」


長坂「これからの自分の座右の書となる本に出会えた。本文も珠玉ながら、巻末の「ブッダの生涯『超』ダイジェスト」は非常にコンパクトでわかりやすい。釈迦でも色々な経験をしてきたのだ、辛いことや、大変なこと(迫害、裏切り、シャカ国の滅亡など様々)、同じ人間である。
しかし、釈迦は目覚めた人(ブッダ)となった。悩みや苦悩を克服したのだ。ブッダになったからそうなったのではない。そうなったからブッダになった。
私自身がブッダになれることはないが、ブッダの教えを体現していくことはできるかもしれない。少林寺拳法はこのブッダの教えを現代社会に生かすもの。
『もっと、もっと』から卒業し、致足と感謝で日々修行。」

新堂

2011年05月03日 02時31分17秒 | 教育・指導法
読了


小説【君が悪い】


新堂冬樹


光文社


最新作登場!!


拡大する新堂冬樹ワールド


長坂『読んでいて吐きそうになるぐらいの気持ち悪い内容。こんな話をかける新堂冬樹ってどんな人物なのだろうか?って思ってしまいます。善と悪、聖と俗のどちらも書く新堂冬樹という人間に畏怖を感じます。でも最後まで読んで、やはり新堂小説のテーマは「あなたはそれでも人を信じられますか?」だと思いました。つまり、そこには「性善説」が感じられるのです。』