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映画・演劇のレビュー

演劇集団よろずや 番外公演「騒擾-ソウジョウ-」

2009-08-23 22:57:18 | 演劇
 若手公演である。主宰者である寺田夢酔さんは今回は製作総指揮にまわって、普段は舞台監督の奥田宏人さんが久々に作、演出を手掛ける。実に刺激的な舞台だ。いつものよろずやとはまるで違うタッチで、役者たちも普段と違う緊張感の中で、実にいい芝居を見せる。

 芝居自身はかなり微妙だ。ひとりよがりスレスレのところで、提示される『今』という時代の気分が、3つの物語を通して描かれる。それぞれの話が錯綜する中で、8人の男女が右往左往していく。彼らは終始舞台にとどまる。スポットが当たるまで静止したままだ。スイッチが切り替わるようにして、それぞれの物語が描かれていく。だが、それは単純なコラージュではない。ストーリーは直線的に流れていくことなく、時には途切れたり、しぼんだり、意外な方向に変化していったりする。パンフにあるキャスト紹介の役名欄を見れば作者の意図は明らかである。例えば、「保険事務所の男、ある視点(秋山幸彦)」だなんていう風に書かれる。おもしろいから何人かを書いてみよう。「理想的な友達、あるいは揺るぎない硬質の素材」とか「友達の彼氏、あるいは多義的解釈の提示」だとか、そんな感じだ。

 これは奥田さんの示すこの芝居の方向性だ。ストーリーを語ろうとするのではなく、ある種の状況と、そこにある関係性から生じる世界のあり方。それが描かれる。経営に行き詰まる保険会社の社員たち。安心を売る仕事が、不安を抱えて右往左往するという現状。ネットで出会った男女が一夜を過ごす時間。そして、不安を抱えたまま元気なふりして生きる女と、彼女の親友と、その彼氏。女はこの2人と居ることで安心でいられる。しかし、自分自身が抱える根源的な不安は拭い去れない。
 
 「保険事務所の女、ある種のワゴンセールの同義」「金魚ハナビと名乗る少女」「クッキーを焼く女、あるいはもう一つの時間」この3人の女が主人公だ。3つのエピソード。3人の女。実は彼女たちは1人の女の3つの姿である。そして、彼女たちはそこでこの芝居を見ているあなた自身でもある。

 生きていること自体が不安の正体で、それと真正面から向き合ってしまうと傷ついてしまう。あるいは逃げ出して、傷つく。心なんていう正体のないものと向き合うことで自分を見失い呆然とする。都会の喧騒の中で、居場所をなくし、立ち尽くす。もうそこから一歩も動けない。そんな絶望的な孤独を1本の芝居として提示した奥田宏人さんのこの野心的な試みは確かな成果をあげている。

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