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映画・演劇のレビュー

『ウルヴァリン』

2009-08-26 19:01:07 | 映画
 この手のハリウッドのアクション映画はもう食傷気味だ。ほんとなら絶対見ない。だが、監督の名前を見て驚いた。あの『ツォツイ』を撮った南アフリカの新鋭ギャヴィン・フッドなのである。なにかの間違いではないか、と自分の目を疑ったが、間違いない。彼である。彼がハリウッドに招かれて撮ったのがこの映画なのだ。そうとわかると、俄然興味が湧いてきた。このなんでもないアクションが、もしかしたら驚天動地の傑作になるのではないか、と興奮する。

 なんといってもあの『ツォツイ』である。砂漠の真ん中の街で生まれた少年がその閉ざされた街で小さな命と出会う。暴力的な偶然の出逢い。そして、赤ん坊と少年の生活が始まる。ひとりぼっちのストリートギャングが、幼子を抱え、ゴミ溜めのような街でひっそりと生きる。命とともに生きる喜びと艱難。クールな映像で熱い想いを見せた傑作だ。あの映画のあと、彼が『Xメン』シリーズのこの映画を作る。ただのアメコミになんかなるはずがない、と信じた。

 だが、期待は打ち砕かれる。なんだ、これは! ただのアクション映画でしかないではないか。この映画を見てだれがあの『ツォツイ』を連想出来ようか。ありえない。あの映画の片鱗も残ってない。無残な映画だ。どうしてこんなことになったかは判り切ってる。いつものことなのだ。アメリカ映画は世界の才能を壊すことが得意だ。自分たちの価値観にあてはめて作家たちの個性なんか粉砕する。ならばどうして彼をハリウッドなんかに呼んだんだ? 新しい血が欲しかったのなら彼のやり方を受け入れてあげるべきだった。なのにここには彼のアプローチと思われるものは何もない。

 ブライアン・シンガー監督による『Xメン』シリーズの番外編である。群像劇であるヒーローものの主人公のひとりであるウルヴァリン(ヒュー・ジャックマン)。彼の誕生にスポットを当てたのがこの作品だ。なるほど話自体はただのヒーローものである本編より人間味あふれるものとはなっている。だが、これだけでは所詮アクションものでしかない。ギャヴィン・フッドの個性はどこにも刻印されない。派手なアクションと杜撰なストーリー。退屈極まりない。うんざりした。

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