
なんと和歌山まで芝居を見に行ってきた。ふつうなら僕はそこまではしない。でも、今回はした。和歌の浦のアートキューブという空間だ。海の手前に立つこのホールは実に美しい。ここでこの作品は上演された。ほんとうなら武庫川公演で見るつもりだったが、コロナのせいで公演が中止になった。そこで仕方なく和歌山公演を見ることになったのだが、結果的にはこの芝居をここで見ることができてよかったと思う。
演出の外輪さんは相変わらず自由自在だ。この空間だから可能な挑戦に挑んでいる。巨大な空間を自在に使い、本来とは反対の空間を舞台側に設置して見せる。しかも、芝居が始まると窓や扉が開いてそこから外の光景(海や風光明媚な自然!)が一望される。それは借景としてこの海を含むロケーションを芝居の中に取り込むという試みだ。昼の回で見たから照明はまるで機能しない。でも、そんなこともお構いなしだ。見上げるほどのタッパのある広い空間を縦横に使う。10数人に及ぶ役者たちを自在に動かす。ここでしかやれない演出で見せる。無謀と紙一重。だいたいこれでは夜の回と昼とではまるで印象の違う芝居になるのではないか、と思う。終わった後外輪さんにそのへんを聞くと「いやぁ、夜の回は綺麗でいいですよ!」なんて宣う。もう!
でも、僕が見た昼の回も大胆で素晴らしかった。外が見える開かれた現実の空間で、この幻想的な芝居をぬけぬけと見せる大胆さは外輪さんにしかできない行為だろう。ふつうなら怖くてしない。そんなこの作品世界を破壊するような行為すら、作品を損なわない。外輪さんの自信のなせる業だろう。
漆器職人を目指す女が、森で一人の男と出会う。記憶をなくしていた彼を自分の工房に連れてきて、面倒を見る。このふたりのお話だ。一応はラブストーリーなのだが、お話はあちこち右往左往するのでまとまりがない。
彼女は10年間不器用ながら漆器作りに情熱を傾けるが、なかなか芽が出ない。彼女が働く漆器工場を舞台にして、お話は展開する。彼女の実家である弁当屋は妹が後を継いだ。姉が出ていったからだ。でも、妹は姉を陰で応援している。工場の面々とのやり取りがお話の中心を担う。やがて、この町に先の男を探して女(とその父親)がやってくる。
主人公のふたりの話だけにフォーカスして描けばいいのに、群像劇になっているからバランスが悪いのは難点だ。だが、それゆえこの空間が生きた。ふたりだけのお話にするとこの開かれた空間では生きない。閉ざされた芝居になるからだ。でも、そのほうが簡単だ。でも、外輪さんは困難に平気で挑む。
これはレトルト内閣の三名刺繍が本名の「金澤寿美」名義で台本と総指揮を手掛けるプロジェクト。和歌山で地元の人たちと演劇に取り組むという企画だ。今回初めて見る機会を得た。先にも書いたが、今回EVKKの外輪能隆が演出を手掛ける。三名さんと外輪さんがコンビを組むなんてそんな夢にような企画を僕が見逃すわけにはいかない。
ダブルキャストで総勢30人ほどのキャストで作られる。少人数のキャストで緊密な空間を作り上げるEVKKでの外輪芝居とは違う。でも、大丈夫。外輪さんは「くすのき」の演出を手掛けていて、そこで普段から大人数の作品を手掛けているから、ね。本作は台本がよくできているから、バランスの悪さもものともしない。三名さんの丁寧でしっかりと考えられた台本を得て、それを外輪さんの自在な演出で、作品はなんとかバランス保つ。でも、それは綱渡りである。開かれた空間で、明るい陽光の中でも、きちんとこの幻想的な世界を構築する。見事だ。