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映画・演劇のレビュー

川上弘美『風花』

2008-08-23 11:42:34 | その他
 「夫に恋人がいた。離婚をほのめかされた。わたしはいったい、どうしたいんだろう。結婚から7年。すれ違う気持ちとこころ。のゆり、33歳の物語。」帯にあった文章をそのまま引用してみた。全文引用してもいいくらいに、とても的確な説明で、この小説のポイントを見事に抑えてある。だが、こんなに上手くまとめてしまったなら、なんだか、今読んだこの小説とは別のもっとわかりやすいもののようだ。

 今回の川上弘美の新作は以前のような毒気はなく、ものすごくノ-マル。どこにでもいそうな普通の夫婦の結婚の危機が静かに描かれていく。特別な事件はなにも起きない。夫が会社の若い女の子と、付き合っていて、自分はその事実を知り、どうしたらいいのかわからない。冒頭、叔父の真人と2人で温泉に行くというとても不思議なエピソードが描かれる。この2人の友情と言うよりも擬似恋愛のようなものがこの小説の底流をなす。ほとんど無意識に近いものだが、はっきりとそれは描かれている。

 のゆりは夫を愛しているわけではない。ただ結婚し、妻としての地位に安住していただけだ。それが本来の自分と居直ることなんて出来ない。彼女には自分というものがない。真人の勧めで、病院事務の仕事を始める。医療事務の講座にも通い、そこで若い男の子とも友だちになる。夫の恋人と会い、食事をする。突然電話がかかって来た大学の先輩と沖縄に旅行する。夫の転勤について行く。今まで自分の意志で何かをするということがなかった彼女が、少しずつ確実に行動的になっていく。気付くと、自分から離れていこうとしていたはずの、夫がそんな彼女を離すまいと必死になっている。

 最後に福島旅行のエピソードは印象的だ。夫婦で夫の出張のついでに、旅をする。なんでもないエピソードなのに、ドキドキさせられる。彼女の心をつなぎとめようとする夫と、自分の生活を摑み、ゆっくりと歩いていこうとするのゆり。彼女の心の成長物語と括ってしまうのは、ちょっとどうだか、とも思うが自分で考え、自分の生き方を模索するというあたりまえのことに目覚めていく女性の静かな足取りを追っていく作品であることは確かだろう。

 夫のことが好きだった、そんなことにすら気付かないで、生きてきた。ただ、受身になり、お人形のように、そこに生きているだけの女が生まれて初めて、自分を意識する。これはそんな物語だ。

 この小説の不思議な感触はストーリーとは別のところにある。のよりという女がよくわからない自分と向き合うことを強いられたはずなのに、それをなんだか楽しんでいるという事態をただ淡々と描く作者のアプローチのなせる技か。よくわからない。でも、おもしろい。


 

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