
団地が舞台だ。マンションではなく。4,5階建てで、同じ建物が続く団地群。それは高度成長期の70年代前後に建てられた。そして、今は古びて建て替えを迫られている。子供たちは出ていき、残された高齢者が住む。先日見た傑作映画『ガガーリン』を思わせる。同じ間取りの団地の一室、4組の家族の部屋が描かれる。芝居を見たときには、舞台は高層マンションだと思ったが当日パンフには「同じ団地に住む人達の話」とある。そこで、少しノスタルジックな「団地」という設定でこの芝居を読み直す。(でも、この芝居なら絶対マンションのほうがいいと思うのだけど)
4組の家族。4つの部屋がお話の舞台となるのだが、セットの組み換えは一切しない。同じ部屋、同じ家具をそのまま使う。一見安易に見せかけて、実はそうではない。全く違う部屋のはずの空間が全く同じ空間であるという不条理がこの作品の描く気味の悪さを象徴する。さらには、ひとつの部屋で同時に複数の家族がいて、それぞれが見えない状態でしゃべっていたりもする。そこにはいない少年の幻を見たりもする。それはとても簡単でらくちんな、そしてさりげない仕掛けだが、そこがこの作品の不気味さを際立たせる。
ここに住む(たぶん)一見ふつうの4組の家族は(その実)それぞれいびつな状況にある。教師とCAの夫婦。夫は不倫中で妻の留守中に愛人を家に呼び寄せる。この教師のクラスの生徒は飛び降り自殺をして今も意識不明で入院中だ。その生徒と母親がふたりで暮らすのもこの団地で、この教師の不倫相手の女性が友だちと暮らすのもこの団地である。さらには、彼らがかかわる、もうすぐ子供が生まれる夫婦もここの団地で暮らしている。この4つの家族のお話である。
少年はやがて意識を取り戻し団地に戻ってくるのだが、記憶の一部を失くしている。母親は学校でいじめに遭っていたのではないか、と担任である教師に迫る。さらには近所にある火葬場からの死体を焼いた煙が息子の心を狂わせたと、なんとも理不尽なことを言い始める。やがては火葬場撤去を求める署名を始める。教師は仕方なく協力する。彼の不倫相手の女性と同居する友人女性はわけのわからない小説を書いているが、団地の夫婦はエイリアンだと言い張り、それを小説に書いている。そんな彼女の書く小説(ネットで公開している)を自殺した少年は読んでいた。少年は自分のことを小説に書いて欲しいと懇願する。そんなこんなで、この4組の家族がこんがらがりつつ関わりあうのだ。ありえないような、でも、ありえそうな微妙なラインでお話は展開する。彼らが交錯し、すれ違い、重なり合う。
エイリアンの夫は火葬場で働いているから、署名は出来ない。子供はもうすぐ生まれてくるはずなのに、妻のお腹は一向に大きくならないと悩む。子供はお腹の中でもう死んでいるのではないかと不安になる。そんな荒唐無稽なお話が静かに進行していく。ラストで、みんなが死んだように眠っている(倒れている)夜中に、同居するふたりの女たちは火葬場の煙を(煙突を)見に行く。そんな夜中に煙が見えるはずもない。
これはとてもヘンテコなお話である。リアルではなく、ファンタジックで不思議なお話だ。この台本の提示する世界を不気味で怖いものとして描けたならこれは凄い芝居になったのだろう。だが、演出がそこまでには至らない。とても残念だ。