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習慣HIROSE

映画・演劇のレビュー

『トニー滝谷』

2007-02-24 10:20:57 | 映画
 3年生、現代文の最後の教材が村上春樹だった。『レキシントンの幽霊』に収められている『七番目の男』である。入試前で殺気立ってる人や、もう進学が決まり授業なんて関係ないと思っている人が多数の中で、消化試合のような授業をするのは、好きではない。奴らのためではなく、自分のためにする気持ちで久しぶりにこの小説を読む。悲しくて泣いてしまいそうになる。いつものことだ。

 最近の高校の教科書には、よく村上春樹が取り上げられる。3年前にも『レキシントンの幽霊』をした記憶がある。初めて『蛍』をした時は嬉しくて、『ノルウェーの森』を併せて取り上げ、漱石の『こころ』と比較しながら授業した。気合が入りすぎて纏まりがないものになった。空回りして生徒には伝わらない。

 村上春樹は何をしても同じだから、丁寧にその作品を読み込めばいい。読みたい人は勝手に読むし、そうでない人はいくら力を込めても興味なんて持たない。そんなものだ。ただ、授業でする場合は、こういう作品もあるということを、正確に提示する。こちらの思い込みを押し付けてもしかたない。

 導入で授業中、この映画のことを話した。気になったのは、その時、「この映画を見て、2度泣いた」、といいながら、はたしてその泣いたというシーンが存在するのか、曖昧だったこと。だから、確かめたいと思いながらも、忙しくてできなかった。今朝、時間があったので、もう一度この映画を見直した。

 やはり、かなり記憶と違っていた。生徒にした説明は嘘ばかりだった。まぁ、いつものことだ。トニー滝谷(イッセー尾形)の妻の部屋で、宮沢りえの女が泣くシーンで僕も泣いた、と話したが、そうではなく何もなくなった妻の部屋で滝谷が泣くシーンで泣いてしまったのではないか。このラスト直前のシーンは女が泣くシーンとオーバーラップする。さらには、映画のオープニングで描かれるトニーの父親が、敗戦後の中国で抑留されていたシーンとも重なって描かれる。全ての孤独がひとつになったこのシーンで、映画が描こうとしたものが明確にされる。もちろん、そんなこと最初からわかっていたことなのだが。泣いたのはこのシーンだけではないか。

 トニーは女を雇いはしなかった。妻の残した服と靴を身に付けて、秘書の仕事をしてくれなんて、異常な依頼なのは自分でもよおく分かってる。しかし、そう為ざる得なかった。原作では雇ってしばらく過ごしたのではなかったか、なんて思ったがどうなのだろう。手元に本がないから分からない。まぁ、どちらでもそう大差ない。授業では女は死んだ妻そっくりで、なんて言ったが、それも嘘だ。映画では宮沢りえが、二役してるからそう見えるだけで、実際に2人が似ていたなんて、誰も言ってない。身長、体型、靴のサイズを雇用条件に指定しただけ。

 事故で妻を失い混乱し、自分が「少し服を買うのを控えたほうがいい」なんて言わなかったら彼女の事故はなかった、と自分を責めたり。先のような求人依頼をしたり。もちろん、そんな事を言うシーンは映画の中に一切ない。だが、はっきりそんなうろたえは見える。映画は敢えて描く必要のないシーンは、何一つ描かない。76分という上映時間はそういうことだ。

 孤独というものを、ただ、そのままに描く。だから、涙なんて流さなくても泣いた気になってしまう。科白はほとんどない。西島秀俊の淡々としたナレーションだけが、流れる。そして、坂本龍一の静かな音楽が全編に流れる。それだけだ。主人公の2人以外にほとんど誰も出てこない。出てきても誰も見ていない。2人はそれぞれ2役を演じる。イッセー尾形は、トニー滝谷と彼の父を。宮沢りえは、トニーの妻と女を。

 映画のラストが小説と違い救いが用意されているのが映画館で見た時は、意外であると同時にうれしかっつた。今、もう一度あのシーンを見て、そのあまりのそっけなさに、驚く。あんなにささやかなシーンにあれほど興奮していたのか、と思った。映画が、あまりに何も言わないから、ほんの少しの感情の揺れが大激震のように見えてしまうのだな、と思った。だから、この映画はTVサイズでは正確には伝わらない。きっと。(まぁ、いい映画とは、すべてそういうものだが。)

 この映画の宮沢りえの演じる妻の美しさは、この映画の全てを象徴する。何も言わなくてもすべてがそこに凝縮されている。だから、トニー滝谷が結婚した時、幸福なのに孤独になった、のもよく分かる。悲しいけど、そんなものなのだろう。

 授業で村上春樹を伝える時、絶望的になる。この寂しさは教えられるものではないからだ。ただ、感じてもらったらいい。分からないならそれはそれで平和なことだ。こんなもの、勉強ではないだろ、と思う。『七番目の男』もまた、悲しい話だ。一瞬の出来事、その瞬間の判断が、人生のすべてを無にしてしまうこともある。いくら後悔しても終わったことはどうにもならない。こんなことを、授業で教えても仕方ない。

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