習慣HIROSE

映画・演劇のレビュー

カラ/フル 『null』

2013-12-26 20:50:50 | 演劇
オダタクミの新作はとてもわかりやすい作品になっている。こういう題材を扱うと、普通なら頭でっかちになったり、どうしても抽象的で観念的な話になりがちなのだが、あえてそういう方向へは向かわせない。暗くて重い話ではなく、そこに未来につながる明るい要素を盛り込む。もちろんそれは無理からではなく、作者の確かな信念からだ。

僕たちの生きている世界は今、どんどん惨いことになってきつつある。これは声高にネット社会の功罪(特に罪)について、論じるのでもない。ありえるはずの近未来を日常として描く。そこには自分が自分ではなくなる可能性がある。自己存在の不安なんて、安部公房がずっと描き続けてきたことで、今に始まったことではないけど、今回、この作品は「スマホ」という今とても身近なものを通して、世界と個人との関わり合いを、シンプルに見せる。

機械音痴である僕は身につまされる内容だ。本多さん演じる男なんてまるで僕そのものだ。芝居はまず、本多さんの話から始まり、3組の男女を登場させる。オムニバスのようにその3話が展開する。そして、それぞれのケースがやがて絡まり合う。行方不明になった夫(本多さん、ね)を捜すためになんでも屋(探偵ではなく、というのがいいし、そこに作者の意図が見える)を雇う妻。そのなんでも屋が狂言回しになり、話は一つになる。オーソドックスだが、なかなか良くできた構成だ。最初にも書いたが、わかりやすく作るということを、今回のオダタクミは身上としている。

お話の基本に戻って複雑な現代社会をわかりやすい図式とドラマでちゃんと伝えること。気持ちの悪い内容のはずなのに、(もちろん、それは現代社会のことであって、この芝居ではない!)見ていてとても気持ちにいい作品になった。

 管理社会の怖さなんか、今までたくさんのSFで警告されてきたことだが、それを身近な生活から書き起こして、社会問題や、世界の在り方へと広げることなく、芝居を閉じていく語り口の淡白さがいい。大ごとではないし、そうはしない。だが、こういうささやかな怖さと日々向き合い、僕たちは「これからの時代」を生きる。


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