林静一の同名漫画を読んだのは、高校生の時だ。その頃、つげ義春に夢中になり、その流れからである。70年代ガロをリアルタイムで読んだ世代よりは少し遅れて生まれたけど、あの時代の空気は理解できる、気がする。でも、それをまだ30代の若い辻崎さんが体現するって、どういう理由からか、とても気になった。
もちろんこれは同名漫画の劇化ではない。別役実による戯曲である。80年頃の作品らしい。別役がこういう本を書いていたなんて知らなかったので、そういう意味でも興味深い。作品自体はいつもの別役作品だ。でも、そこに林静一の世界が介入する。そのぶつかり合い、融合がなんだか不思議なムードを湛えていく。しかも、70年代初頭の学生運動を背景にしたドラマはある種の定番である雰囲気を醸し出す。どこまでが本気でどこからがそうではないのか、わかりにくい。でも、それは彼らにもわからないのだろう。自分たちが何がしたくて、どこに向かおうとしているのか、わからないまま、流されていく。不安を胸に抱えて、生きている。そんな中で死ぬ者もいる。電信柱(別役の定番)が芝居の進行とともに、徐々に倒れていく。マヨネーズとケチャップが象徴的に使われる。上手い小道具だ。2人の男とその間に立つ女のお話。作品自体は時間軸に沿っているわけではない。時間は前後する。だめな男の顛末が描かれる。
別役作品は感情移入を拒否する。センチメンタルな林静一の世界とは本来なら相容れない。そこに今回の演出家である辻崎智哉の視点が交わることでさらなる混沌を生む。このわからなさを、そのまま受け止めるだけの度量のない人には理解できない作品だろう。だから、観客を選ぶ作品だ。だが、そんなこと最初からわかっている。それでも、この世界に足を踏みこんでしまいたい、と願ったのだろう。辻崎さんの誠実さがこの作品の魅力であろう。なぜ、この作品でなくてはならなかったのかは、ここからは明確にはならない。でも、これを見ることで、こういう不安は確かにあると思える。それを若さのせいにはしないけど。そこにも一理ある。ただの似非ノスタルジアではないことだけは確かだ。今も昔も変わらない。不安な時代。未来は見えない。
もちろんこれは同名漫画の劇化ではない。別役実による戯曲である。80年頃の作品らしい。別役がこういう本を書いていたなんて知らなかったので、そういう意味でも興味深い。作品自体はいつもの別役作品だ。でも、そこに林静一の世界が介入する。そのぶつかり合い、融合がなんだか不思議なムードを湛えていく。しかも、70年代初頭の学生運動を背景にしたドラマはある種の定番である雰囲気を醸し出す。どこまでが本気でどこからがそうではないのか、わかりにくい。でも、それは彼らにもわからないのだろう。自分たちが何がしたくて、どこに向かおうとしているのか、わからないまま、流されていく。不安を胸に抱えて、生きている。そんな中で死ぬ者もいる。電信柱(別役の定番)が芝居の進行とともに、徐々に倒れていく。マヨネーズとケチャップが象徴的に使われる。上手い小道具だ。2人の男とその間に立つ女のお話。作品自体は時間軸に沿っているわけではない。時間は前後する。だめな男の顛末が描かれる。
別役作品は感情移入を拒否する。センチメンタルな林静一の世界とは本来なら相容れない。そこに今回の演出家である辻崎智哉の視点が交わることでさらなる混沌を生む。このわからなさを、そのまま受け止めるだけの度量のない人には理解できない作品だろう。だから、観客を選ぶ作品だ。だが、そんなこと最初からわかっている。それでも、この世界に足を踏みこんでしまいたい、と願ったのだろう。辻崎さんの誠実さがこの作品の魅力であろう。なぜ、この作品でなくてはならなかったのかは、ここからは明確にはならない。でも、これを見ることで、こういう不安は確かにあると思える。それを若さのせいにはしないけど。そこにも一理ある。ただの似非ノスタルジアではないことだけは確かだ。今も昔も変わらない。不安な時代。未来は見えない。