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映画・演劇のレビュー

『デッド・デッド・デーモンズ・デデデデデストラクション後章』

2024-05-24 13:01:00 | 映画

まさかの大傑作だった前章を受けて待望の後章である。前章はたまたま見た。同日公開だった『オッペンハイマー』を見る前に時間がピタリと合ったから前座で見たのに、あまりの衝撃で『オッペンハイマー』がただのオマケになってしまった。(あれはあれでいい映画だったけど)あれから2ヶ月、ようやく後章の公開である。待ちに待った。いきなりの公開予定の変更で、1ヶ月後だったはずが2ヶ月後に延期された。今回は今日これだけを見る。期待も大きい。

2ヶ月も経ったからお話を忘れているにもかかわらず、復習せずにぶっつけで見た。だけど、前作を忘れていても大丈夫だった。後半戦も素晴らしい。

後章はもちろんあの後の話だ。地球滅亡までのカウントダウンの中、何事もないようにふたりは大学生になる。オカルト研究会に入る。大学生活がスタートする。新しい仲間もできる。

異星人たちは政府の方針から問答無用で駆除される。反対運動も起きる中、ふたりはキャンパスライフをエンジョイする。そこには悲壮感はない。あるけどない。まずここには日常が描かれる、だからだ。

何があろうとも僕たちは今を生きている。そこで何が起きようとも受け入れて生きるしかない。宇宙人がやって来て円盤が東京上空に止まっても学校はあるし、大人たちは仕事にも行かないといけない。そんな日々が描かれる。だけど事態は刻々と変わっていく。円盤から煙が舞い上がって、空は汚染されていく。さらには円盤が落下してくる。状況は悪化する。

映画が一体どこに着地するのか、まるでわからないままどんどん話は進む。人類滅亡をいかに回避するかとか、誰が世界を助けるか、ではなく破滅までのカウントダウンでもなく、だけど彼女たちはこの世界を守り抜く。これは救世主の活躍を描く「ヒーローもの」ではない。

そして、無事を知り抱き合うラストは安易な終わりではない。映画は今この世界で起きる理不尽と向き合い、日常を生きている僕たちの姿と重なり合う。廃墟と化した東京。だけど世界が滅びたわけではない。今という時代の気分を反映して、それだけではなく未来への希望をつなぐ、これはそんな素晴らしい作品だった。


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