習慣HIROSE

映画・演劇のレビュー

『悲夢』

2009-02-18 22:15:55 | 映画
 オダギリ・ジョーとキム・ギドクのコラボレーションが実現した、なんてことは僕にはどうでもいいことだ。キム・ギドクの新作を見たい、ただそれだけである。だが、前回のチャン・チェンとのコラボもあまり上手くいかなかったキム・ギドクが、今回日本人俳優を使うことで前回の二の舞になるのではという心配がどんぴしゃになる。途中からこれは駄目だわ、と匙を投げた。

 前回の『ブレス』ではチァン・チェンを喋らせなかった。外国人俳優に韓国語を喋らせる必要はない、というのが彼の姿勢。だが、なんだか無理した設定だった。だいたい『弓』以降彼の映画は寓話的色彩が濃厚で、かってのパワーが失われている。『うつせみ』を頂点にして完全に下降線を辿っている。もちろん最高の映画を作った後それを超える仕事をする、なんて困難を極めることは承知だ。だが、そんな中でもしっかり格闘して欲しい。僕たちはキム・ギドクに期待してるのだ。彼ならまだまだ凄いことを仕出かしてくれると。

 夢の中で起きた出来事が現実になる、なんて話は映画ではよくある。だが、自分の見た夢を他の誰かが現実に仕出かしてしまうなんていうのは初めてだろう。しかも、その他の誰かが、女性で彼女が夢遊病者のように行動する。2人はふたりでひとつの存在だ。彼を棄てた女と、彼女が棄てた男が付き合っている。そんな2人のところを彼は彼女の体を借りて訪れる。しかも、無意識に。

 実にばかばかしい話なのだが、前半はこの荒唐無稽な話を主人公の存在感で見せきる。だが、それにも限界がある。後半話が変にリアルになり、それまでの浮遊感が損なわれ、ただのバカになる。2人が夢の中の存在のようで、その存在感のなさを土台にした不思議な映画として何とか成立しそうな危うさがそれなりには魅力的だったのだが、寝たら駄目、ということで必死になるところからあほらしくなる。コメディーじゃないんだから、やりすぎはいけません。オダギリが大きく目を広げて眠気と戦う様は滑稽でしかない。

 終盤になり、眠らないようにするために体を傷つけるさまはちょっとグロテスクだ。金槌で自分の足を叩いたり、針を頭に刺したり、痛すぎる。彼女が男を殺し、精神病院に収容されるところから映画は完全に崩壊する。だいたい病院に収監されているのだから、逃げたりできないはずだ。それなら彼が眠りに就いても大丈夫なのではないか?なのに、彼があそこまで自分を傷つける理由がわからない。

 究極の愛の寓話のはずが、滑稽なあほ映画に堕してしまったのはなんだか、悲しい。ほんのちょっとバランスが崩れただけなのに、それですべてがおじゃんになる。残念な映画だ。だいたいオダギリに日本語を喋らせて、周囲の韓国人はもちろん韓国語を話すというスタイルはかなり微妙だ。日本語と韓国語で会話するのだが、当然のようにお互いにはなんの違和感もなく会話が成り立つ。映画自体が寓話だからそれもありだろうが、見ていて違和感がある。しかも、その仕掛けが映画自体の力にはなってない。ただの逃げにしかならないのもなんだかなぁ、である。

 これは分類すれば『うつせみ』の路線だが、この手の映画は失敗したらこんなふうに目も当てられない映画となるということだ。

 

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