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真紅組の山本美和子のよるプロデュース公演だ。もちろん作、つかこうへい。演出は諏訪誠。つか芝居に山本美和子さんが16人の男たちを従えて体当たりで挑戦する。
今に時代につかこうへいを演じることは実に無謀だ。熱狂の時代はもう遠く、今、このハイテンションは過去の話だ。この芝居に乗れる観客はもういない。あの頃、唾を飛ばして、汗まみれになって、無茶苦茶な論理を振り回して僕らを感動の渦に巻き込んだつか芝居は、今では観客を醒めさせるばかりだ。どれだけ熱く演じても反対に空回りする。それでも、ドンキホーテよろしく、あえて、つかに挑戦しようとする愚行をこの芝居は冒す。
そして、成功した。なぜ、そうなるのか。ひとえにプロデュースし主演した山本さんのこの作品に賭ける情熱のなせる技だ。2時間ずっとセンターに立ち、たったひとりでむくつけき男たちと対峙した。彼女の熱い想いが、空回りすることなくストレートに伝わってくる。その一点に置いて、これは成立する。
女なのに男として育てられ男たちの中でたったひとり入り込んで、負けることなく時代を走り抜けた沖田総司という女。ただ強いだけではない。その弱さも含めて、ありのままに描こうとする。女だからというハンディも抱えて、それをどう乗り切るのかが描かれていくのだ。不条理なことも多々ある。でもそれを克服するしかない。
この芝居が感動的なのは、つか戯曲の力だけではなく、華奢な彼女(それは主人公の沖田総司であり、また、山本さん自身でもある!)が傷だらけになりながら、男たちに立ち向かっていく勇気ゆえだろう。女であることを拒絶するのではなく、反対に力にして、男たちと向き合い自分の存在意義を示す。そんな彼女の自由のための戦いとして、この作品を読むことで、この芝居は今の時代にも意味のあるものになる。
今に時代につかこうへいを演じることは実に無謀だ。熱狂の時代はもう遠く、今、このハイテンションは過去の話だ。この芝居に乗れる観客はもういない。あの頃、唾を飛ばして、汗まみれになって、無茶苦茶な論理を振り回して僕らを感動の渦に巻き込んだつか芝居は、今では観客を醒めさせるばかりだ。どれだけ熱く演じても反対に空回りする。それでも、ドンキホーテよろしく、あえて、つかに挑戦しようとする愚行をこの芝居は冒す。
そして、成功した。なぜ、そうなるのか。ひとえにプロデュースし主演した山本さんのこの作品に賭ける情熱のなせる技だ。2時間ずっとセンターに立ち、たったひとりでむくつけき男たちと対峙した。彼女の熱い想いが、空回りすることなくストレートに伝わってくる。その一点に置いて、これは成立する。
女なのに男として育てられ男たちの中でたったひとり入り込んで、負けることなく時代を走り抜けた沖田総司という女。ただ強いだけではない。その弱さも含めて、ありのままに描こうとする。女だからというハンディも抱えて、それをどう乗り切るのかが描かれていくのだ。不条理なことも多々ある。でもそれを克服するしかない。
この芝居が感動的なのは、つか戯曲の力だけではなく、華奢な彼女(それは主人公の沖田総司であり、また、山本さん自身でもある!)が傷だらけになりながら、男たちに立ち向かっていく勇気ゆえだろう。女であることを拒絶するのではなく、反対に力にして、男たちと向き合い自分の存在意義を示す。そんな彼女の自由のための戦いとして、この作品を読むことで、この芝居は今の時代にも意味のあるものになる。